サムライジャパンの選択–2

難しい選択だな、と思ったのは西野監督の「1点差の負けは容認。イエローカードは厳禁」という判断のタイミング。おそらく、勝ちに行けるだけの体力が残っていない、という判断が根底にあったのではないか、と私は想像する。

前半は押し気味だった。勝つためには絶対に先取点が欲しかったから、かなり鋭い攻撃が何度もあった。けれど、ポッと気が抜けた途端に失点。監督は暑さと疲れを選手に感じたのではないか。これを引きずったまま強引に同点、逆転を狙えば、むしろカウンターを食って2点差になる可能性の方が大きいと感じたのではないか。

さらにコロンビア-セネガル戦が「同時進行」だったことが決定的に重要だった。コロンビアとセネガルの実力、残り時間を勘案し、「統計的判断」で「コロンビアの1点差勝ち」に「賭けた」。もし、コロンビア-セネガル戦が何かの都合で、試合開始が30分遅れてスタートしていたら…。

フェアプレー云々の話は別として、西野監督の「確率・統計的」サッカー観は新たな興味を抱かせる。ハリルホリッジ監督を開幕直前に解任、日本人監督として最多の勝利数を誇る監督を据えたこと自体、西野氏がサッカー協会にもたらしたサッカー観なのかもしれない、とも思う。

サムライ・ジャパンの選択

かもめ(習作)

日本-ポーランド戦、1-2の日本の負けだが、勝ってもポーランドは一次リーグ敗退決定済み、破れた日本は負け方次第で決勝トーナメント進出という、特に後半はそうした戦略が前面に出た試合となった。このような展開はあらかじめ想定されてはいたが、それでも最後の10分間に関しては、サッカーファンの心理を2分したに違いない。

スポーツマンシップを第一とする世界中のマスコミからは「もうサムライとは呼べない」「最も見たくない試合」などと酷評。一方、結果を重視するファンからは「これも戦略だから当然」「他のチームも主力を休ませている」などの擁護論。どちらか一方だけが正しいと簡単には言えないが、チームは監督のものだという感を深くした。

もしこれで、次のベルギー戦で素晴らしい勝利を収めたならば、西野監督の決断は「最良」のものとなり、この試合の胸くそ悪さはファンの心から消え去るだろう。要するに「結果論」、と女子Wcupで優勝したなでしこメンバーの一人は語っている。

なでしこも準々決勝で似たような試合をし、それが優勝につながり、あの日本中のフィーバーになった。けれど「結果が全て」ということは、「フェアプレー精神」は不要だということになりかねない。勝ちさえすればいい、というのはサムライ精神に反する、と思う。けれど一方で、無意味な「玉砕戦法」もまた、見たくはない。

変なクセ

「森の男または萬鐵五郎礼賛」 (習作)

変なクセに気がついた。メガネのフレームの、耳にかける部分を噛むクセ。右耳の、メガネをかける部分が痛いと感じていた。歳をとって皺が寄り、それが引きつれて痛いのだと思い込み、メガネをよく点検していなかった。

耳にかける部分がギザギザになっている。これじゃあ確かに痛い筈だが、どして?電車内で本を読んだり、スマホでニュースを見ている時はメガネを外す。胸ポケットがない時、メガネを歯で噛んでぶら下げながら読んでいる、それかと思い当たった。

「ワールドカップ」で、GK川島選手の「悪いクセ」のことを書いた。これは私の(最近の)悪いクセになっていた。自分のクセは気づきにくい。

良いクセもある。サッカーついでだと、試合終了後のサポーターのゴミ拾い(これは義務感?)が、日本人の、「習慣」として各国の話題になっている(クセと習慣の区別など、ここでは論外にしてくれ!)。良いクセを子どもたちにつけさせようと、学校の先生たちは様々に戦術を凝らす。しかし、それはどうも「上手な抜け道を探すクセ」の前に、完敗しているようである。