指絵

「カモメのいる浜辺」

ちょっと疲れてきたのかも。ルーティンになりかけた自転車ウォーキングも、ここ10日間ばかり積極的に行く気持ちが薄れている。特に体調が悪いとも感じないし、眠れないわけでもないから、それなら疲れかな?と思う程度。

「癒しの自然音」という、“睡眠用” の音がネット上にはたくさんある。鳥の声とか波の音などが多い。時々、夕方にかなり眠くなってしまう時があって、そんな時こういう音を流しながら横になることがある。けれど、効果があると感じたことがない。

むしろこういう画像を眺めて、勝手に想像する方がずっと癒される気がするし、ちょっと戻ってしまうけれど、こういう絵を描く方が満足感があって、(描くときはもちろん眠くないが)描き終わったあと、なんとなく心が軽くなる気がする。

絵を描くには技術やちゃんとした画材がなくちゃ、と最初に思い浮かべる人は多いらしいけれど、絵を描くには画材などない方がいいこともある。
 指一本で空中に描く。実際、わたしは半分無意識にそうしていることがある。すっと通り過ぎた人の顔の輪郭など、一瞬指でなぞっていたりする。そうすることで頭の中にかたちが保存される(気がする)。
 必要なのは、やっぱり「描こうとする気持」。そして、1分以内という時間。5分あったら、画材が手もとにあったら、「さあ描くぞ」と構えてしまって、逆に “指絵” が描けなくなる。他人に見えなくたって、絵は絵なのである。

アネモネ、薔薇、ダリア

             「薔薇の習作」   水彩 ワトソン紙

薔薇を「花の女王」と位置付ける人は、欧米の人々を中心に多いようだ(日本なら牡丹かな?桜はちょっと意味が異なる気がする)。だからか、とにかく新品種の開発速度が速く、どんどん色もかたちも変わっていく。それとともに愛でる側の薔薇のイメージも変わる。

今年(2026年)流行の薔薇の品種は分からないが、これは比較的最近の、ラナンキュラスに似たタイプの薔薇。ラナンキュラスはアネモネに近い種で、わたしははじめはアネモネの一商業品種だと思っていた。

アネモネはわりに好きな花で、毎年春がくるたびに描いたものだが、ラナンキュラスは花びらの枚数がやたらに多いので、描くにはけっこう負担を感じさせる花だった。そういうわけで、このタイプの薔薇も億劫だった。

けれど、見るぶんには柔らかい(もふもふ感のある)グラデーションと、カドのない優しい形状で、いまの人の感性には受けそうなタイプの花である。実際、一時期は爆発的に流行した。少しそのほとぼりは冷めてきたようだが、ここ数日薔薇を続けて描くうちに、描いてみようかな、という気持になった。数枚描いてみると、描き方のコツみたいなものを感じた。これが描けたら「ダリア」も描けるようになる、かも知れない。

ボツにするよりはマシ

    「白椿」  水彩

長いこと放ったらかしにしていた習作に加筆、終了にした。満足とはいかないが、グッドアイデアが出てこないのだから、まあこんなもんだろう。そのままボツにするよりはいい。

急ぐ必要があるなしは別にして、何ごとも終わりは大切だ、と最近は思う。かつては描きっ放しはふつうのことだったが、それは新しいアイデアがどんどん生まれてきて、古くなったアイデアをいちいち終了させる手間が惜しかったから、だと思う。最近は頭を右から叩いても、左側から引っ張ってもアイデアが出てこなくなった。

アイデアが枯れるのは、脳の老化もあるかも知れないが、何よりあらゆるもののインプットの量、密度が小さくなったから、だと思う。情報量不足だということ。この時代にあって情報量不足なんて、と思うなかれ。
 有意な情報を得るには良いアンテナが必要だ。そしてそれが常に更新されていなくては、貴重な情報がスルーしてしまう。情報は新しいものが良いとは限らないが、触れ続けていることが大切だ、とよく言われるがたぶんその通り。言葉を換えれば、アンテナとアウトプットの装置が旧式のままだということ。

アンテナを更新するには何より “気力” が要る、と感じる。若い頃は「体力」があるから、空気や水のように、身体を通してアンテナが、いわば “勝手に” 更新されていた。歳をとって、体力が無くなってくると、意識して更新を心掛けないとすぐに固く、錆びついてしまう。それを意識するには「気力」が必要だ、というわけ。
 一枚の絵を描き終わるたび、 “がっかり” もあるが、「次はこうやってみよう」という課題も見つかる。それが気力を取り戻す-ボツにしてしまうよりはいい-理由。