題名のつけ方

       「慈雨(あじさい)」 水彩 ラングトン紙

紫陽花(あじさい)の季節になった。ちょっと出かけるとわが家の庭だけでなく、どこの家の庭からも紫陽花が “こんにちは” と首を傾げてきます。

この絵を見ると、背景に見えているレオナルド・ダ・ヴィンチの、「荒野の聖ヒエロニムス」が「あじさい」とどう関係あるのか、紫陽花より先に疑問に思いますよね。
 「聖ヒエロニムス」は、悟りを得るため、あらゆるものを教会に寄進して荒野に修行に出ます。そこで足に棘が刺さって苦しんでいるライオンの棘を抜いてやります。それが背景の絵の情景です。

要するに絵のテーマは「(無償の!)愛」(当時のキリスト教会の「無償」についてはいろいろあるようですが)。「あじさい」に雨はつきもの。そこに「慈雨」というタイトルをつけると、バラバラだったモチーフがピタッと一つのピースにまとまる、と思ったんですが、理屈のこね過ぎかもしれませんね。

たまたま紫陽花の写真を探していたら、背景の一部に「聖ヒエロニムス・・」のページが偶然写り込んでいました。このかけ離れた2つのモチーフをくっつけたら面白いと思ったので、理屈をこねてみたのでした。左右の大きな対比も意識しています。

         「モデルスケッチ」  鉛筆

雪に覆われる長い時間を過ごすことが「春」を輝かせる、と毎年のことながら思う。雪のない地域に生活してみると、雪がないのは大いに有難いこと。まず、自転車に乗れる。運動にも買い物にも便利。雪の上では自転車どころか二輪車自体が想像できない。そういう有難味を享受しつつも、「雪が解けて」春が来る、というドラマチックな視覚の変化に乏しいのは、どうにも物足りない。

先日記事にした近所の桜の名所でも、もう今日あたりは開花しているに違いない。そして花見の人も増え、にぎやかになっているに違いない。確かに春の嬉しい風景であり、千金万金の価値もあると思う一方で、雪解け水がどうどうと溢れる沢筋の、誰にも見られない桜、そんな風情にどうしても心惹かれてしまう。そんな景色に、何度見ても初めて春を見るような新鮮な気持ちにさせられる。

「Air port 」のためのエスキース

          「Air port」 のためのエスキース

勝手をよく知っているものには、多少のトラブルがあっても動じず、冷静に対処できるもの。未体験であっても、知識として知っているだけでもパニックにならずに済む、というのは誰でも普通に経験していることだろう。

未体験のものにぶつかったとき、それがマイナスイメージになるか、プラスイメージを感じるかどうかは人間的にも興味を引く問題で、多くの場合「アンケート」というかたちで、わたしたちは無料で個人情報を差し出している(笑)。人間以外の動物では、多くはそのどちらにもならず、「後退する」方が多いらしい。「後退」というのは本能的に「危険を避ける行動」で、保険も病院もない野生動物の世界で「安全第一」が最優先なのは、当然過ぎるほど当然のこと。ただ、それは「好奇心が無い」という意味ではないようだ。

動物を飼ったことがある人なら分かると思うけれど、動物は人間同様に(あるいは人間以上に)好奇心に満ちている。危険を感じさせる、かたち、音、匂いなどがない限り、初見参モノにちょっかいを出す距離感は、やっぱり人間とそれほど変わらないように思える。
 ただ、基準が「食えるかどうか」だけのような爬虫類と(爬虫類ファンにはそれがまた別の観点でもあるのは理解できるが)、オウムやカラスのような(人間と共通できる)知的な遊び心のある動物とでは、それぞれの好奇心への対応の仕方が異次元である。

話が跳び過ぎてしまったが、「未体験」とか「異次元」とかを、日常の中で味わうには「旅」が一番だ(根拠もない自説だが)。「未体験」を味わうなら、まずは「Netflix」ではなく、どこでもいいけど具体的な「行先のある」現物のチケットを手に持つことだろうか。
 話を絵に戻すと、「空港」はグッドラックも「搭乗拒否」も、ウェルカムも「入国拒否」も「国外退去」もある、希望と緊張に包まれた空間だ。モデルさんはロシア人。ウクライナ戦争の直接の関係者ではないけれど、日本にいても複雑な心情が入り混じっているに違いない。ウクライナ戦争って日本からは遠いようだけど、そこと繋がっている人がわたしの眼の前にもいる。そんな表現ができたらいいな、と思う。