飛ぶ男

飛ぶ男 F8 2013
飛ぶ男 F8 2013

絵の装いは古典的だが「飛ぶ男」は実は近未来人であり、絵のように「飛べない」ことなど百も承知である。人間がどれほど腕力を鍛えようと、人力で羽ばたき、飛ぶことが不可能であることは、現代なら子供でも知っている科学的な事実。この絵のような翼ではムササビのように滑空することさえ難しいと、彼「飛ぶ男」は考えている。そして、あろうことか作者であるこの私に向かって「俺はお前ほど時代錯誤の人間じゃない。お前なんかより、もう少し現代的・知的な人間として俺を紹介してくれよ」と注文してくるのである。

しかし「飛ぶ男」は、空を飛びたいという単純な願望の表現ではないという点で、作者である私の意見としぶしぶ一致する。もともと彼は、この古典的なシチュエーション自体に不満である。それを彼に納得させるのはなかなか骨なのだが、それは作者である私以外に適任者がいない。「これは一つの新しい感情・直感の形式であり、それが現実に存在するという意味でリアリティがあるのだ」と、難しい言葉で彼を煙に巻くつもりだ。「感情?ケッ!」と唾を吐かれそうな気もするが。

 

つばめ

つばめ
つばめ

夕方、土手を歩いたら数羽のツバメが川の上数十センチを、何度も繰り返し飛んでいた。強い向かい風で秒速1mというところだろうか。2、30m川面を水平飛行しては反転を繰り返す。川面に羽虫が発生しているのだろう。近くには巣もあるに違いない。

軽い気持ちで土手に出たから、小一時間も眺めているうちにすっかり体が冷えてしまった。今日は午後から強い北風。北国では雪が舞っているという。五月としては異常だ。版画家の熊谷吾良先生から今朝届いた葉書では、弘前の桜もまだ2,3分咲きだという。土手では雀も3羽見た。なぜか私の足元に舞い降りてきた。アッシジの聖フランチェスコを描いた絵のようだと思った。

 

羽根

男と羽根(F80 部分)2013
男と羽根(F80 部分)2013

羽根は空を飛ぶためのものだ。それが身体に無いから人間は飛行機を作ることになった。

鳥が羽根を得て恐竜から別れ、同じ哺乳類であるコウモリが羽根を得たのに、人間が羽根を得なかった理由は何なのだろう。