絵画教室の人々ー5

「休憩時間(部分)」水彩
「休憩時間(部分)」水彩

※これは架空のお話です。

一度教室をやめて、また戻ってきました。

特にやめる理由も無かったように、はっきりした理由があって戻ったわけでもありません。強いて言うなら、クラスの人に戻って来なよと誘われた(再勧誘?)からですが、理由になりませんよね。

教室には10年間通いました。ほぼ無欠席。結構大きな絵も描いたんですよ。でも、コンクールなどには出しませんでした。先生も特に出せとも言わなかったし。自分としては少しは出したい気もありましたが、積極的でもなかった。いえ、それが不満だったんじゃありません。でも、なんとなく、少しずつ風船から空気が抜けていくように、すうっと気持ちがなくなったんです。

体力はありますよ。元気、元気。教室をやめても絵を描く気持ちはあったんですが、ここがなあ、とか言われないと張り合いがないというか。10年間の惰性なんでしょうか。

絵を描かないと、アイデアが浮かぶ。描いてる時は、目の前の処理で手一杯。考えられないんですよね。で、アイデアが浮かぶと描きたくなる。描き始めると、できないところ、ダメなところが案外すぐ分かっちゃうんですよ、自分でも。でも、どうしたらいいかが分からない。それを放っておけないんですよね、性格っていうのか。

だから戻って来たってわけじゃないんですよ。なんとなくね。でも、今度はコンクール出してみようかなと思ってます。入選とか賞とかの欲があるわけじゃないけど、ちょっと頑張ってみようかなと。でも、入選したら案外もっと上の欲が出てくるかも、ハハハ。

早い人、遅い人

浮かぶ男(部分)
浮かぶ男(部分)

一般的に、人より「早い」ことは能力の高さを示す、有力な一指標であると考えられている。覚えるのが早い、仕事が早いなどは給料とか成績とかに直結していることもあるだろう。最近では帰宅が早いのも美点の一つになっていると聞く。

私はといえば、覚えるのが「かなり遅く」なり、仕事は「うんと」遅くなり、走ることは「できなくなった」。「帰宅」だけは「非常に早く」なった。これは自分的には嬉しくない美点である。

「一般的に」言えば私はかなりダメ人間になってきていることになる。けれど、嬉しいことに、一方で「遅い」生き方を提唱する人々も増えている。無理やり短くまとめると、「遅い」生き方の方が環境に優しい、というのである。車よりは自転車を、である。

私の場合、環境に優しい生き方をことさら提唱しているのではなく、単純に早く出来ないだけ。でも、「遅い」ことが私の新しい生き方になってきたのだと考えれば、案外軌道は合いそうで、はた目ほどダメ度を気にする必要も無さそうなのである。