会話

なんとか生きている

L:最近なんだか声が変なんだ。

R:変ならまだマシ。俺なんか声が出ないよ。

L:そうだな。先っちょも切られちゃったしね。あれは枯れてたの?

R:死んではいなかった。でも神経がかなりやられていて、切られた時もあまり痛くなかった。でも、切られた後を見たら、結構瑞々しかったな。自分で言うのも変だけど。

L:僕もいま先っちょがそんな感じ。やっぱり切られちゃうかな?

R:いや、たぶんもう切らない。まだ生きてるってことが分かったはずだから。もう少し緑にアピールしてたら、俺も切られずに済んだかも知れないが、そんな余裕ない。

L:君が犠牲になってくれたんだね。どう?まだ傷は痛む?

R:ちょっとね。でも、すぐ塞がってくれたから。現金なもので、生きてると分かったら、アイツ急に優しくなって、毎日霧なんか吹くんだぜ。水だけならタダだしな。

今度は溺れるほど、くれなきゃいいけど。アイツら生き物への想像力ってものがないし、頭悪くてきちんと調べることもできないから。まあ、急にストーブの部屋などに連れていかれて、「熱死」させられないだけマシだけど。

繻子蘭のシュンちゃんから昨日聞いた話じゃ、あっちの部屋は20°以上もあるってよ。今の体力じゃ急にはついてけねえよ。

繻子(しゅす)蘭 / Rattlesnake plantain

繻子蘭が咲きそうだ

本棚の上の可愛らしいつぼみ。ビロードのような光沢のある黒い葉は繻子蘭。初めは握りこぶしほどの大きさ、2〜300円の小さなビニールの鉢植えだったのに、数年でずいぶん大きくなり、棚からせり出してくるようになった。

邪魔になり、放り出そうかと思う頃になると、それを見透かしたかのようになんとも可憐な蕾を膨らませる。まさに色仕掛け。乙女のような細く白い首に載せたほんのり赤みのある蕾。やがて白い十字の花が静かに開く。その下には﨟たけた黒繻子、縦縞のあだな装い。

植物の世話など殆どしない。忙しいから、ただ見るだけ。文字通りの「目をかける」=世話なら、していることになるかもしれないが。窓際に直径5cmほどのサボテンが2個、去年の夏から瀕死の状態でなんとか生きている。捨てられた鉢を、ダメ元で持ってきたものだ。暑さの中ですっかり干からびていたやつが、今度は冬の寒気に、中の水分が凍りかけている。私は薄情にも、せいぜい夜はビニール袋を一枚かけてやるだけ。なぜか繻子蘭と同じところには置いてやらないのだ。

死ぬか生きるか、水分と保温のギリギリ最低限だけを与えて、結果を観察している。自分が何様のつもりかはしらないけれど。

体験が大事 / Experience is first

立派な氷。赤はシクラメンの花びら

全国をすっぽり覆う寒波が続いている。今回の寒波はこれまでとはレベルが一段違う。関東では21日に降った雪の量が記録的なものだっただけでなく、雪質も(関東の)スキー場並みのものだった。降っている時、これはちょっとすごいぞと、感じていた。

その上、続く寒波で、連日の晴天にもかかわらず、日陰ではその雪が硬く固まるばかりで、一向に融けてしまわない。大雪からまる一週間経った今日、外の水道は蛇口付近を熱湯で暖めてもまだ一滴も水が出ない。その下に置いてあったバケツの氷(写真)、測ってみると厚さが17cmに近い。埼玉移住36年、自宅でこんな厚い氷は見たことがない。

地球温暖化。この一世紀だけのデータからはそんな気持ちにもなるが、地球の歴史全体を身体全部に置き換えたなら、まだまつげの先端を見ている程度に過ぎない。科学は素晴らしい成果を示していて、今後もそれ以外に信じるに足るものはないだろうけれど、それでもまだ発展途上。人類が通過した「経験」を部分的に確認している段階だ。

命の危険、災害の予感。それはまだ科学ではないが、人類の(動物の?)直感としてDNAとして刻み込まれている(筈だ)。まずはそれを大事にする。そしてその僅かな経験を大事に積み重ねる。固執するのではなく、少しだけ優先する。