刺繡糸

刺繡糸 ペン・水彩

「手すさび」という言葉はもう死語だろうか。暇つぶしの手遊び、というほどの意味だが、現代人にはもう暇などないのかもしれない。

スケッチの本領は、じつは描くことにではなく、「じっと見る」ことにある。いい加減なものは、じっと見られることに耐えられない。きちんと作られたもの、よく考えられたもの、多くの人に愛されたもの。そうしたものは、深く見られれば見られるほど、次第に、厳かにその真価を現してくる。その真価に目と手で触れること、それがスケッチだ。

スケッチを描く意味は、ただ形や色を写すことにはない。視線の先にあるものと繋がること。ペンと紙、眼と対象物が繋がって一つのループになること、それが描くということだ。ペンの先、線の先から、無数の見えない糸がさらにオーラのように延びて、モノの放つオーラとつながる。「見ることは愛すること」と誰かが言った。生きたスケッチとはそういうもの。

腐る日

鳥 1

動画編集は難しい―2。絵の動画なら、とりあえず絵を描くのはどうということはない。撮影も、まあ何とか。けれど編集作業では、荒野をひとりさまようような孤独感をあじわう。

画像編集ソフトにはチュートリアルという、いわば体験学習のビデオがおまけについている。2分とかせいぜい5分程度にまとめられた手順を、一つ一つなぞることで編集の流れと操作を体験し、そのあとで実際に自分のプロジェクトをやる、という流れになっている。

手順1。何がどうなっているのか皆目意味不明のまま、画面をすいすいと説明のカーソルが移動し、ホイホイと場面が変わる。理解できないまま何度も繰り返して見る。あんぐり口を開けたままなのに気づくまで30分も経っている。自分の番が来ても手が動かない。「シーケンスは?」と問われても「は?シーケンス?」。いちいちその意味を調べ、そうやって時間はどんどん過ぎていく。

まる一日かかって、ほぼ成果なく終わる。そんな日はほんとうに気持ちが腐る。「自分には無理なのではないか」「他にもっと意味のある時間の使い方があったのではないか」。英語習いたての中学生が、いきなり本格的な英文の小説を読み始めたって感じかな。単語の意味だけ分かっても場面はぜんぜん浮かばない、そんなつらい読み方。

動画、難しいよ!

梨とベゴニア

毎日忙しい。その忙しさの半分は「動画制作」。といっても、動画をたくさん作るのに忙しいわけではない。そもそも動画なんて、この半年間で、まだ数えるほどしか作っていないし、そう簡単に作る能力もない。確かに「オンラインで動画配信」は経験したが、なんとかギリギリ間に合わせていた、というのが実情だった。

それでも、曲りなりにでも動画制作、配信をしてみて、これは自分には必要なことだと直感した(それにしては立ち上がりに3か月もかかったが)。機材とソフトとやる気の3つが揃わないと始まらないが、「本当にできるかなあ」という不安も50%くらいで、機材、ソフト購入にも腰が引けていた。

結局、できることといえばそれしかないし、今しかない。その他の事情も重なって、ようやく「自作パソコン」(すでに書いた)になったという次第。とりあえず、カメラはスマートフォンを活用。三脚、照明とも安物ながら、とにかく最小限の機材は揃えた。やる気は「とりあえず」あることにして、動画の海へ出港した。

上の動画「梨とベゴニア」は、じつはカメラを使っていない。たまたま持っていたスキャナーと、新しく契約した動画ソフトで。4秒に1枚の割合で自動スキャンした、110枚の写真を動画ソフトでつないだだけ。たったそれだけのことなのに、「編集が難しい」!

ところで、この梨、スケッチにはラ・フランスと書いたが、「北海道では『普通の』梨」と今日(10/27)判明。しかも「西洋」梨ではなく、「中国」梨のなかまなのだそうだ。「原種」っぽい味がある。西洋梨もシルクロードの産物かも。私の航海も何とかなるかな。