無常無心

一日中憂鬱で、絵を描く気力も湧かなかった。

教室の仲間がまた一人亡くなったと連絡があった。1月末には退院できるかなと、思っていたが、2月になっても復帰できずにいた。いつも意欲的で、新しいことにチャレンジする人だった。81歳。心からご冥福を祈りたい。描きかけの絵があり、退院してきたら、最終のステップを体験してもらいながら、完成へと行くつもりで準備していた。

最近、わたしの周りでは土木工事、解体工事がやたらに目につくようになった。時期的なものかもしれないが、ここ数年では見られなかった多さ。なにかが、動き始めているのだろうか。

昨年で、銀座等で開くグループ展などから一切手を引いたことは、前にもお伝えした通りだが、時間の流れと、無常を繋いでみると、もっと正直に自分の絵を描かなくては、と思う。人に見せることが絵の宿命ではあるけれど、別にそこで共有だの、共感だのを求めなくてもいいのだ。絵の評価など、どうせろくなものではない(今年、ある展覧会の審査員をするのだけれど)。褒められようが、けなされようが、せいぜい五十歩百歩だ。そんなのに惑わされず、出来るだけ無心に描くことが、幸せへの道ではないかと思う。わたしは絵のことしか知らないが、好きなことに無心になること、自分を澄ますことに憧れる。

絵と“しゃべり”

02/13.18:00 アップロードしました。ご覧ください

懸案のビデオやっとアップできました。前回のアップ後一週間は、ビデオ関連のことは何もできなかったので、実質10日間編集にかかったことになる。特に3連休はまるまるこの編集のために消費してしまった。

ビデオのために絵を描く時間は、水彩の場合、長くても2時間。たいていは1時間ちょっとで終わる。描きながら喋ることができれば、ナレーションなど考える時間はほとんど不要だから、カット編集だけで一日あればできるかもしれない。そうすれば週1回はもちろん、2、3回というアップ頻度も可能にはなる計算だ。

でも、喋りながら描くということは、現実的ではない。まあ、デモンストレーションでは、部分的にややそれに近いことはできるが、下描きから完成までずっと喋っていたら、集中できず、絵の方ができなくなってしまう。ここ2作ほどは、ずっと喋りつづけているが、そうした方がいい、というアドバイスに従ってやってみている。ナレーションの言葉を考える時間は膨大だし、何より「絵を描くのに、こんなに言葉が必要なのか?」という疑問を拭い去れないままに喋りつづけている。しかも、1.5倍速を目指して、早口に。当然、楽しいはずもない。そもそも、自分が描きたい絵を描いているわけではなく、ビデオのための絵を描いているのだから、それに合わせるのは仕方ないことだろうけれど。

どうせビデオを作るなら、作っている自分も楽しめる方がいい。ストレスも減るし、モチベーションも維持できるし、なにより健康的だ。理想を言えば、誰かが、わたしが描いているビデオを作ってくれるのが一番いい。その出来具合に、時どき茶々を入れて笑い合うのがいい。そんな日がいつか来るんだろうか。

花梨と貝-2つの画材を併用する

「花梨と貝」制作中。絵の中の花梨の方が、実物より存在感ありそう

1個だけ腐らずに残った花梨(かりん)を、絵のモチーフに使いまわしている。今回はスケッチ的な描写から、背景を簡単に作る方法をデモ制作してみた。

昔、テンペラでよくこの技法を使った。とてもお手軽で、便利な方法(安易過ぎる感じがして気が引ける)。下地との食いつき具合と、削り出し(今回は使わない)の時の、絵の具の硬化のさせ方に工夫を凝らしたことを思い出した。

水彩とアクリル系絵の具との併用ですが、油彩との併用もいたって簡単。特別な技術などほとんど必要なく、使うのは自分の感覚だけ。お試しあれ。