大ボケ、小ボケ

青スジアゲハ
青スジアゲハ

ボケた。大ボケ。今朝だけで2度目の大ボケ。

1回目は時間ミス。7時台を8時過ぎと勘違いし、急いで電車に乗り、病院に着いたら閉まっている。病院の予約は9時だったが、8時に着いてしまった。それなのに、まだ1時間の勘違いに気づかず、ズラリと並んだ人の列に、「今日は何かあったんですか?」と訊く始末。

2度目。診察も予定通り終わり、今日はその分早く戻れると思いつつ、東武動物公園駅まで到達。ここで南栗橋行きに乗り換えだが、来た電車は快速型の車両。東武動物公園から先は快速でも、各駅停車になることが多い。でも必ずしも…と一瞬心をよぎるものを感じたが、何かがブラインドになって行く先が見にくかった。「何人も乗るから各駅停車だろう」が墓穴。それに乗って板倉東洋大前へ。

そこで折り返す電車を25分ほど待つことに。ふと足元を見ると、階段に青スジアゲハ。せめてお駄賃にと写真、がこれ。なぜかカメラも不調。指を離しているのに18枚もバースト。撮り直したらこの暗さ。しかも画面が真っ赤になったり。ボケの連鎖は恐ろしいよ。まだ、午後もある。何が起きるか分からない。

行動展、新制作展を観た

矢元政行「船を造る」
矢元政行「船を造る」
「船を造る」(部分)
「船を造る」(部分)
「境界」
「境界」

日曜日、行動展と新制作展を観に行った。行動展の矢元さんの作品は毎年見るのが楽しみ。大好きな作家だが、会ったことはない。

「船を造る」という題なのに、近づいて見るとそれに相応しい工人風の人は一人もいない。何故か下半身丸出しでお尻を突き出していたり、お尻丸出しで走っていたり。要するにクレヨンしんちゃんが船の周りに100人以上集まっているだけとイメージすれば分かりやすい。なのに鋭いリアリティが感じられるのは、的確な批評眼と卓抜なテクニックによると思う。

もう一つは新制作展の彫刻会場。アカデミックな基礎を重視しながら、アカデミックな形態を脱しようとしてきた(と思う)、この会の彫刻部のありようをよく示していると思う。この力の「外し方?」が絶妙ではないだろうか。物理的、力学的な計算の上に、意表をつく(かつ、ワザとらしくなく、かつ肩の凝らない)カタチで重力との関係を解釈して見せる、その鮮やか(過ぎるかもしれない)さ。

どちらの展覧会も数百点が出品されているが、このレベルになるとさすがに幾つもない。が、必ずあるというのもすごいこと。

 

盲点

ボンヤリと見る
ボンヤリと見る

ボンヤリ、何となくモノを見ていてはいけないと、よく言われた。言われただけではなく、いう側にもなった。

最近になって、ボンヤリ、何となく、も悪くはないんじゃないかと、思い始めた。どころか、それが大事だとさえ思い始めた。そう思い始めると、また何かが見えなくなる。

暗いところでは、ピントを外してモノを「横から」見るのがコツだ。何だかそれに似ている。意識して、集中して見ると逆に何かが見えなくなる。そういうのを盲点という。