年賀状アイデアーその1

年賀状アイデアスケッチから

尻から火が出ているのは気づいているが、目の前の(実はどうでもいいような)雑事に鼻を引かれて、尻の火を消さずにいた(まるでヒエロニムス・ボスの絵を実写版で見ているようだ)。

28日の午後8時過ぎ、やっと年賀状にとりかかった。ひと月前から、自宅プリンターより外注が安くてキレイと、もう耳ダコがいくつもできるほど聞かされては、両手両足でロバの耳を塞いで、今日まで過ごして来たのだった。

「今年は猪のように一直線」なんて、脳みそに亀裂が入る。こんな文言は生理的に無理だ。ふと思いついたのが「マンガ仕立て」。いいじゃん。で、なぜか桃太郎の1シーンが浮かんだので、それぞれのセリフも描いてみた。桃太郎「これから鬼の征伐だっ!ついてこい!」背中に桃印吉備団子が入ったリュックを背負っている。ーキジ「もし、鬼が想定以上にいたら、キジダンゴ割り増しだぜ」ー犬「黍団子なんて、そんな子どもの食いもんに興味などねぇ。オニの宝を取ったら、次はキジ鍋だ。最後は桃太郎ごと桃粥にして食ってやるのさ」。実は、こいつは犬のふりした狼なのだが、阿呆な桃太郎は気づいていない。

猪は寝ている。オニ征伐に行かない。腕まくらをしてぐうたらをきめこむ。「行きたい奴だけ行けばイイ。イイ歳をしてそんなの行くか(アホ)」。イイと猪をかけたつもりだった。

トコロがどっこい、おとぎ話の桃太郎には猪など出てこないのだ。「猿」の間違いだ。右か左の脳が「三蔵法師」の話と取り違えたらしい(いま私の頭の中でお互いに責任をなすり合っている)。年賀状のストーリーとしてはまあ滅多にない(から面白い)だろうと思いつつ、果たして年賀状として理解可能かどうか、思案中でアル。

そいつは誰だ?俺の中にいるのは

「ある男」習作

「ある男」は飛んだり、跳んだり、浮かんでみたり、沈んでみたり。時には指を組んでみたり、自らか人によってかシェルターに入ったりする。そして時々叫び、タツマキを起こす。死んでは新生を繰り返す。こいつはいったい誰なのか。

答えがあるとは限らないのに

「ある男」習作

暮だ。年末だというのに、ほとんど家庭と自分の用事を済ませられない。なんだか、絵がもどかしくて。そう簡単には一歩なんて進めないと思っていても、もう少しでそいつの背中くらいは見えそうだと感じて、やめることができない。

課題は分かっているが、解決法が見つからない。頭を整理し、その上でいろいろやってみる。決して当てずっぽうではなく、それなりの目算もあるつもりで始めてみるが、ことごとくはね返される。まあ、数学の問題のように一つの式できれいに解けるというようなものではなく、経験と分析が物を言う世界だし。

だが、そもそも答えがある、という前提などない。あるとしても答え(のかたち)がひとつとも限らない。青い薔薇を野に求めてもむだなように、あり得ない答えを求めれば単なる放浪以外にない。それを追い求めきれるのは天才かバカか。天才である確率0.1%以下であることはほぼ間違いない。すると、今やっていることは、ドン・キホーテ。