恐山にて

恐山・花染めの湯
恐山・花染めの湯

一か月ぶりにまた下北半島・恐山へ行ってきた。

恐山には地獄も極楽も目白押しだが、本当の極楽は実は温泉ではないだろうか?建物の形にはなっているが、まあ露天風呂の延長のようなもの。恐山の山地内には無料で入れる温泉は現在4つ。山門を潜るとまっすぐ地蔵堂の方へ敷石の道を行く。中門を抜けたところに3つの湯屋がある。一番左に女湯と書いてあるが入ったことはない。

写真の「花染めの湯」はそこからずっと離れて、ポツンと人通りから見えないところにある。周りはまだガレたままで、ガスが噴き出したり、荒涼とした雰囲気だ。ここが恐山開山時からの最も由緒ある名湯なのだが、恐山がどんどん観光化し、宿泊施設などがやたらに建設され、それらの建物の陰に隠れてしまった。ちなみに名湯は昔のままの混浴である。地獄に男も女も関係ないのだから、当然と言えば当然か。

恐山に行って、温泉に入らないのは、魚釣りに行って一匹も釣らずに帰ってくるようなもの。しかし、殆どの人は釣ろうともせずに帰っていく。糸を下げるだけでも釣りではあるかも知れないが、釣れれば釣りは何倍も面白いものだ。暑い中、上り下りで汗びっしょりになって地獄を歩いた後は、やはり温泉は気持ちがいい。温度もぴったり。脚が自然に伸びていく。身体が勝手にほぐれていく。地獄、極楽はセットでこそ有難い。あの世へ旅立つ前の、つかの間の命の洗濯「老人バスツアー」から「極楽」をカットしては、ツアー会社も賽の河原の鬼同然。お湯に浸けて、ほんの数分でもしわを伸ばしてやりなされ。それが現世供養というものではありませんか?

「ばか!」

飛ぶ男 P20 2013
飛ぶ男 P20 2013

上手にボタンをかけることができない男の子が1人。

その子より幼い子でもちゃんとできたから、それは男の子が幼すぎたからではない。

男の子は初めて自分でかけたボタンをかけ違った。大人のしぐさを正確に真似たつもりだったが、そして十分に動作を呑み込んでからボタンをかけてみたのだったが、ボタンとボタンの穴はひとつずつずれていた。

彼は急いで全てのボタンをはずし、やり直した。しかし再びボタンはひとつずつずれた。彼は意地になり、何度もかけなおしたが、その度にボタンは意地悪くずれるのだった。

いや、実は何度かきちんと合ったこともある。けれど、彼は偶然にできたことに納得がいかず、必ずぴったり合うための「秘密」を知ろうとした。

それは彼にとって、大変な難問であった。どうして他の子はいつもちゃんとできるのだろう(彼にはそう思われた)と思ったが、その子に直接「どうやるの?」と聞くことはなかった。

「こうやるんだよ」と自慢げにやって見せられるだけでは、秘密は明かされないと彼は考えた。自分ができることと、人に説明できることとは別だ、と彼は本能的に悟っていた。それに、そんなすごい秘密を簡単に教えてくれるはずはない、と大人っぽく先回りして考えていた。

やがて、男の子は指から血を流しながらすべてのボタンを引きちぎり、地面に投げつけて何度も何度も踏みつけた。ボタンのせいではないと解ってはいたが。

1人の女の子がそれを見ていた。

その子はいつも自分でちゃんとボタンがかけられたが、なぜ自分がうまくできるのかなど、考えたことも無い。そんなの、彼女にとって当たり前のことにすぎなかったから。

女の子には、男の子が異様なほどボタン遊びに熱中しているように見えた。そして彼がついにボタンを踏みつけた時、まるで自分が踏みつけられたように感じて、思わず叫んでしまった。

「ばか!」                                2013/8/1