文化のねじが壊れている

「 Apple 3 colored 」 2020 tempera

オランダの小さな美術館が、借りていたゴッホの絵を盗まれた、というニュース。コロナ禍のため、政府の要請により臨時休館中だったらしい。

「こんな時に」と憤るより、私はこの窃盗犯に拍手を送りたい気分だ。コロナで気が滅入っているこんな時期に、せめて美術館を開館して気持ちを癒す方向に工夫を凝らすのではなく、単純に休館するという発想自体にも一矢を報いている気がする。大規模イベントはほぼ全て自粛なのに、オリンピックだけは来年の開催日も決まったという大きな矛盾。アスリートのためなどと言っているが、本音はオリンピックにかけたお金の回収と、それを起爆剤に商売に弾みをつけたい経済界からの強い要請が最優先なのは誰でも知っている。そういうときに、盗んだ絵をたった一人で、ワクワクしながら間近に覗き込んでいる姿を想像すると、犯人の方がずっと高尚な人間のような気がしてくる。

フリーランスの音楽家・演奏家、舞台俳優など、さらに各種カルチャー教室のインストラクターなどが、ライブやイベントのキャンセル等で生活が成り立たなくなっている。文化国家としてこんな状況をほっといていいのか、という議論が起こっている。従来の失業対策の間口を広げてこれに対応したい、という生返事が行政からある。けれど実態は「フリーランス」という言葉の意味さえよく解っていない。「ライブ」という語には「感染源」という訳語しか、彼らには当てはまらないらしい。有名人しか知らない彼らに、その有名人がどんな道を辿ってそこまで到達したのかを、想像する能力は完全に欠けているらしい。

フリーランスで働く人々の、一時的な生活困窮のバックアップに失業対策費を援用するというのに、その間は「ハローワークなどへ通い、できるだけ仕事を見つけなさい。これはそこまでの援助です」という趣旨の説明だ。馬鹿か、としか言いようがない。「これで生活を安定させ、良い時期になるまで一生懸命作曲や練習に励みなさい」というのが趣旨ではないか?どこかに勤めなさい?練習は?画家が個展を1週間やって、売り上げが100万円あるとする。1週間で100万円なら、年間55週間あるから5000万円くらい稼げるでしょうと、平然と言う。いつ絵を描くと思っているのだろうか。想像力のかけらもない。絵を盗むのはもちろん良くない。けれど、こんな馬鹿と話すよりは、犯人との方がきっと深い話ができるはずだ。

コロナ休み

「 Green apple 」 2020

現在、世界のおよそ3分の一にあたる人々に、移動の制限がされているらしい。Covid-19が猛威をふるうヨーロッパでも、犬を散歩させる場合でも自宅から10m以内という厳しい制限のあるところもあれば、庭や公園で友人たちと食事を楽しんだり、スポーツなど身体接触があっても(全体として気をつければ)OKというレベルの国、地域もある。みんながみんなパニックになっているわけではない。

外出制限、テレワーク(自宅でのパソコンによる仕事)、休校、レストランなど生活必需品の販売以外の商店の閉鎖、三人とか五人以上の集会禁止、ほぼあらゆるイベントの中止、美術館・博物館・図書館・劇場などの文化施設の休館…など、要するに強制的に自宅で休みを取れということ。普通のときと違うのは、いつ休みが終わるのかわからないということ。そして、長引きそうだということ。

アメリカ・エール大学のインターネット通信講座の受講者が50万人増えたという。この機会に、新しい資格を取るための勉強を始めたなどというポジティブなニュースが、スマホやパソコンの画面を駆け巡る。「不安がっていても仕方がない。お前も前向きに何かためになることをやれ(文句をいうヒマがあったら)」と圧力をかけられているような気がして、かえってストレスだ。ポジティブも結構だが、ただ体を休めるだけだって悪いことじゃないだろう。

海上で遭難し、ゴムボートなどで漂流する時、早く死ぬ人は体力の消耗より、先が見えないことのストレスによる方が多い、という話をどこかで聞いたことがある。だいぶ昔のことだから、今もそれが事実なのかはわからない。でも、先の見えないのが大きなストレスになることは確かだ。気を紛らす術を知っている方が絶対にいい。図書館から100冊くらい借りておけばよかったが(実際は10冊までしか借りられないが)、真っ先に休館されたのは残念だった。

Covid-19 に見る、「日本」という考えかた

「Snickers 2」 2020 水彩

新型コロナ・ウィルス(Covid-19)がヨーロッパと南北アメリカ大陸、さらにオーストラリア、アフリカへと広がりつつある。アジアでは中国と韓国がどうやらピークを越えたようで、台湾、シンガポールが制圧に成功するかどうかの瀬戸際。他のアジア諸国では日本同様、感染が拡大しつつあるというのが大勢のようだ。ウィルスの国内感染を防ぎたいのは世界各国共通だし、入国制限などの具体例では日本もほぼ各国と横並びだが、そのプロセスにおいて日本は世界と考え方が全然違う国なのだな、とつくづく感じさせられた。

安倍首相は「専門家の助言を聞いては『いないが』」(自分自身の判断だ)と述べるのに対し、私の見る範囲内に限るが、各国の首相、大統領は「専門家の意見を(常に)聞きながら」と、「専門的・科学的知見を前提に」国民に訴える姿勢が極めて対照的だ。確かに、思い起こしてみれば「私(安倍)は『森羅万象を統括する』総理大臣でありますから…」と国会答弁で幾度か堂々と応えているから、そういう姿勢もなるほどとはうなづける。「森羅万象を統括できるならそもそもcovid-19など出すな」とは誰しも思うけれど、虚言癖、誇大妄想、記憶喪失という重い症状だといわれる首相の言葉などに、いまさらこだわっても時間の無駄だ。

けれど、安倍氏をナメてはいけない。彼は政治の「天才」だと、私は思う。ヒトラーに極めて近い人間性を持っていると私は感じている。天才はたいてい「純心」だ。「純心」とは、自分だけがこっそり儲かるような行動をするとか、そんな世間的な打算が無いことをいう(選挙は別)。祖父の岸信介の願望達成に命を懸ける純心さ(皆のためになると思い込む宗教心に近いもの)、それが、元々ポリシーなどなにも無い多くの単純・無心(≠無垢)な自民党議員をまとめる力にもなるのだろうし、「特攻精神」などを崇高と賛美する一部国民の軍国主義的な美学(宗教)を代表できるのだとも思う(念のため断っておくが、旧日本軍における特攻隊隊員がそのような単純な精神の持ち主だけだったなどとは、私は露ほども考えていない。むしろ「特攻精神」なるものは特攻せずに済む人々による、単に煽動的な言葉だと考えている)。

そのような美学(宗教)を共有する人々には、日本を「ヤマト民族」独自の「当たって砕けろ」の特攻精神だけでcovid-19にぶつけ、しかも「必勝する」という信仰があるのだろう。科学的裏づけを二の次にしたがる、そうした神がかり的な発想が「いさぎよい」犠牲を国民に強い、そのあとを「自己責任」と丸投げする安易さにつながっているのではないか。