腱鞘炎

最近、腱鞘炎が頻繁だ。そんなに手指を酷使している、つまり「お仕事」しているのかと思われそうだが、実はその逆。だから、なぜ頻繁に腱鞘炎になるのか、不思議だった。

腱鞘炎といえばピアニストと連想する人が多いらしい。わたしも実はそう思いこんでいた一人なのだが、ピアニストを含む音楽家の整形外科的な手の病気を見ると、腱鞘炎は全体の1/3なのだそうだ。意外に少ない気がするが、内容をみると手(腕)の筋肉の使い過ぎによる筋炎(筋肉痛)、筋肉の骨への付着部の炎症(付着部炎)の3つで全体の70%だが、そもそも腱鞘自体が身体のごく一部にしか存在しないことを考えると、やはり噂は正しかったと言えそうだ。

身体を動かすということは、骨が動くことでもある。その骨を動かすのは筋肉。骨にくっついた筋肉が縮んだ伸びたりすることで、骨の位置を変える=身体の動きを作り出す。骨にくっついた筋肉の一部が繊維状の「腱」になっているところもある。手足の指など繊細な動きをするところでは、「腱」が特別なポイントを通過する必要がある。そのポイントが鞘(トンネル)のようになっていて、腱の「脱線」を防いでいる。けれど、なんらかの原因でその鞘が腫れたりすると、そこを通る腱と擦れてしまうことになる。それが腱鞘炎。

腱が頻繁に鞘を出入りすれば擦れる機会も増える。とうぜん腱鞘炎も増える。ピアニストの例はその典型である。けれど、そうした機会が減ったのに腱鞘炎が増えたのはなぜか。つまり腱、鞘のどちらか、または両方がなぜ腫れたのかということだ。人間の身体は、そのおおよその仕組みは分っているようだが、すべて解っているわけではない―休ませ過ぎもあるかもしれない・・・。「たまには仕事をしろよ」そう言われているような気がする。でも、腱鞘炎になってから仕事をするってのもいかがなものか、なんてね。

気になる絵

矢本政行「ホール」2021 行動展

行動美術協会に所属する矢本さんの絵を、少なくとも10年以上、興味と尊敬をもって拝見しています。これは今年2021年9月の行動展で発表された矢本さんの作品です。一度お会いしたいと思っていますが、まだお会いしたことはありません。

一見で、この人はヒエロニムス・ボスとかブリューゲルに強い共感を持つ画家だろうな、と皆さんが感じると思います。一つはその色彩です。もうひとつはかたちの崩し方に対する好みです。この2つが一致する画家はたくさんいそうに思えますが、実は意外に少なく、ボスやブリューゲル系の画家に絞られてしまいます。

でも、そんなことはどうでもいいのです。この絵から感じられるのは、「世の中は厳しい」というリアルなメッセージです。同心円、中央が凹んでいるという構図が「歯車のように、正確で情け容赦のない」現実の状況を象徴しています。まるで「奴隷制度」の図式化のようだと、わたしには思えます。

そんな楽しくない状況を想像しながら、色彩のストイックな美しささに引きずられて、一歩二歩絵に近づいてみると、たぶん数百人はいる登場人物の、その一人一人はどれもものぐさで(時にはパンツまでずり落ちていたり)、自堕落なポーズをしています。これを「(かすかに奪い取った)自由」と見るか、「(諦めのなかの)自由」と見るかはその人第ですが、色彩他の全体構成から考えても、アメリカ的、楽天的な自由感だけはきっぱりと排除していると思います。「自分が自由だと思っているアナタ」へ、あなたの自由は本当はこんなものかもしれないぜ、それでもいいのかい、という自問を迫る絵だとも感じるのです。

エスキース

アマゾニカのエスキース

青いカモメの絵画展が終わって5日目。もうすっかり1年ぐらい「過去」のような気がするが、気持ちとは裏腹に、展覧会のビデオ製作などが思うように進まないため、スパッと頭を切り替えて次の仕事に入ることができない。こういうのって嫌なんだよなあ。

アマゾニカという植物の鉢植えを買ったのは2年前?名前からして、いかにも熱帯ジャングルっぽい野性味に惹かれて何度もスケッチしたのに、1枚もまだ作品化できていない。こいつを青いカモメ展以後の、木立ベゴニアに続くニュー・ヒーローにしようと思い立った。

アマゾニカはかたちが単純だから、スケッチするのはごく簡単だが、「絵にする」となると、その単純さが逆に障害になる。デザイン的な面白みが強すぎて、その上に精神的な深さをかぶせていくことが難しいからだ。言葉を換えれば、日本人的感性に合わせにくいということだろうか。

エスキースとは、本制作または作図に入る前の「アイデアの整理」作業のこと。語源はよく知らないがたぶんギリシャ語だろう。このエスキース(案)では、アマゾニカのかたちはそのまま。色はグリーンを基調に彩度、明度を換えて2~3種類。アクセントに白を使おうと考えている。この「白」をただの余白でなく、きちんと意味のある表現にしたい。3種類のグリーンの配置は感覚的だが、「線をまたぐ」ことが重要だ。数日後に試作をこのブログに掲げたい。