5月の梅雨入りと台風

アンスリウムなど  F6 watercolor 2011

5月の梅雨入りは案外珍しいのだそうだ。大抵は6月8日前後というから、1週間は早いということか。でも、ここ数年の記憶では、「・・・日にさかのぼって梅雨入りと宣言しました」という発表が多く、「さかのぼってって言われてもなあ」、という思いがある。

今年は桜を見なかった(灯りのない夜桜を一瞬だけ見た)。見る気にもならなかった。弘前(青森県)在住の版画家から「今年の桜は見る人が少なく、寂しかった」とお便りを頂いて、そういえば弘前の桜も、もう40年も見ていない、と思い当った。大好きな白モクレンも見るとも見ないうちに終わってしまった。そこに5月の、最大勢力925hpaの台風2号がやってきた。

子どもの頃も風が大好きだった。停電し、ろうそくを灯す台風の夜、外でごうごうと鳴る風の音がなぜか体に沁み込むように私をわくわくさせた。今も強風に木が揺れる様を見ると、その風を浴びに外へ飛び出したい衝動に駆られる。髪を揺さぶり、口や鼻に強引に入り込む風。目を細め、バタバタと音立てながら前のめりに風にぶち当たる喜びがあった。

埼玉は日本でも最も自然災害の少ないところだと、今度の震災でつくづく有難く感じた。最近は台風もめったに来ない。来ても殆どヨレヨレで、台風という名がかわいそうなやつばかり。不謹慎だが、沖縄や枕崎あたりの凛とした台風状況をテレビで見ると、思わず「台風頑張れ、ここまで元気で来い!」などと応援してしまう。

自然は友。一言でいえばそういうことか。震災は厳しすぎるが、大きな目で見れば、それが私達を育ててきたのかもしれない。幼い胸に響いた風の音は、体に宿る自然が外の自然と呼応する野性の共鳴だったのだな、と今になって解ってきた。  2011/5/30

爽やかな人、爽やかな絵

アンスリウムなど f6 watercolor 2011

 埼玉県展の審査結果が出品者の手元に届き始め、結果に一喜一憂する人もいると思う。

ユニークな絵を描く人がいる。「今年も落ちちゃいましたー。また、来年頑張りまーす」と笑っている。しかし決して来年の入選を目指して頑張るとも思えない。要するに、絵はその人の人生のほんのわずかな部分に過ぎず、血眼になってまでやるほどのことではないのだろう。が、決していい加減に描くわけではなく、それなりに真剣らしい。彼にとって絵は、大切な人生の一部分であることも間違いない。

その人の絵は実を言うと少し困った絵なのだが、その困り方が痛快で気持ちいい。一言でいえばスケールが大きすぎて「きわめて絵にしづらい」。大きいといっても対象は実に具体的で、目に見えるものなのだが、リアルに描くと全然つまらない。半分抽象化するともっとつまらない。絵では無理なのかも?とも思うが、チャレンジし続けている。けれど私のように直線的ではなく、その無理さ加減を楽しんでいるようにも見える。

けっして上手い人ではない(しかし最近だいぶ腕を上げてきた)が、どんな絵を描いても楽しい気分がとてもよく伝わってくる。それが実に爽快だ。彼のような絵との距離感は私には経験がない。こんな楽しみ方ってあるんだなあ、と羨ましくも見える。

気持ちが伝わるくらいだから、実力は十分ありそうだ。だが「困った絵」を絵にすることは未だに出来ず、したがって?結果も出ない。それが楽しそうでもあるし、さらに絵を描く原動力でもあるに違いない。困った絵は、まだ数年は爽やかに彼と私を悩ませてくれるだろう。

上の水彩画は、内容とは何の関係もありません。単なる気分です。

シェルターの男-2

シェルターの男 f6 Mixed-medium

今年の晨春会展に出品予定の「シェルターの男」はあまり描かかないうちに制作終了間近。写真締め切りの電話を貰って、考えた。

上の作品は昨年制作の、「シェルターの男」の第1作。何気なくデッサンしていてピンと来るものがあったのを覚えている。それ以後10点は「シェルター・・」を描いた。シェルターの形もごく最近ではカプセルのように変化してきた。「カプセル」といえば福島原発や放射能といった大震災のキーワードを連想させそうだが、制作開始は昨年末で、大震災の4カ月以上も前のこと。震災には直接関係ない。

「シェルター」とは何かから、何かを守るための設備だから、この場合も、この男?は何かから自分を守ろうとしているに違いない。でも「何から」?題名の「男」も、本当に男であるかどうか実際はよく判らない。

制作は五里霧中中。道に迷う人に特有の幻灯かも知れないが、霧の向こうに「何か」があるはず、と・・・。