ペースメーカー

ベッドの上でもいろいろ考える
ベッドの上でもいろいろ考える

私には姉がいた。私が生まれて半年後に亡くなったので、もちろん顔は知らないが、姉は私の顔を見たはずだ。2歳半だった。当時の田舎だから写真もない。母は娘の柔らかい髪の毛をひとつまみ、ずっと取ってあった(おそらく今も)。小学校低学年の頃、何かの時に母が見せてくれたのを覚えていて、それから何度か自分でも見た。

ペースメーカーは、正確な電気信号が届かなくなった心臓に、その人の身体活動に合わせた信号を正しく伝えるもの。それが今、自分の胸の中で私自身の一部として動き始めている。

ペースメーカー自体が動くわけではない。ただの冷たい(冷たくはない)機械だ。けれど私の肉の一部を切り開いてその中に埋め込まれた瞬間から、私と生死を共にする、私の特別に大切な一部分となった。この先、大事な大事な手、脚、眼、耳などでさえ、私から失われることがないとは言えないが、これだけは私が生きている限り、失われることはない。

夜、目覚めて何となく肌着の上から撫でると、まだちょっと痛みを伴って膨らんでいる。これまでのいろんな人や事柄の全てが関わって、文字どおり私の胸に飛び込んできた機械だ。大事にしなくっちゃ。

だから、「ペースメーカー」という機械の名前でなく、自分で名前をつけることにする。仮に「葉子」と呼んでおこう。それが姉の名だ。2016/11/29

「安静」の意味

読みかけの本を読み終えた
読みかけの本を読み終えた

突然「絶対安静」、ベッドから出てはいけないと言われ、いつ転倒しても不思議ではない状態と理由も告げられたのに、その指示の意味が手術後までも、解っていなかった。

ベッドでモニターの数字だけを見ていた。30〜35から上へなかなか上がらない。逆に時々27,28に下がる。パッと夢が覚めたら65とか70とかになるという、祈るような気持以外、頭が働かない。示される数字の現実感が薄い。

手術の説明があり、器具の説明がある。それぞれ理解はできるが、心は上の空のまま手術室へ。

術後2日ほど経ち(26日)、ほぼ全ての予定のキャンセル、移動などの連絡を終え、やっと落ち着いてきた。

なぜ手術が必要になるまで症状に気づかなかったのか。これからどうするのか。

「安静」とは文字通り静かに休むだけだと思っていた。もちろんその通りだが、少なくとも「何もしない」だけの意味ではない。「積極的に」何もしない、のである。「何もしない」ことが「無意味」とは正反対の意味だということが、遅ればせながらやっと解ってきた。

仕事や会合の連絡なども確かに大事だが、死なないまでも、安静を犯して入院を長期化させてしまえば、連絡など何の意味もなくなってしまう。少し大げさに言えば、病気でさえここまでの私の人生の結果である。そして、手術そのものも多くの人の心配や励ましや努力の結果だ。それをきちんと活かすために、自分が今できる最大のアクションが「安静」なのだ。 2016/11/30

 

 

心電図モニター

心電図モニター 脈拍70
心電図モニター        脈拍70

変な話だが、心電図を見るのは案外楽しい。単純な繰り返しだけのようだが、何故か飽きない。しかも自分のだから、尚更親近感が湧くのも当然だ。そのうえ、この番号。これはある組織での私の会員番号ととても近い。同級生のような近さだ。

この6日間、私から一度も離れることなく、心臓のデータを見せてくれている。顔立ちもスタイルも、どちらかといえば不細工だが、機器から出る熱も私の身体に伝わり、何だか生き物をずっと抱いているような、お気に入りのおもちゃのような感じがして、可愛い。貰って帰りたいが、そうもいかない。家に帰ればいずれ放ったらかしにするに決まっている。可愛い子はここに残すのが良い。2016/11/28