冬が来れば思い出す

オジロワシ舞う

「夏が来れば思い出す」ではないが、冬が来れば思い出すことも少なくない。

雪上に点々と続く動物や鳥の足跡。空から激突するようにドスンと体をぶつけて着地する雉(キジ)の丸い胴体のあと。ドタドタした駆け足(滑走)、飛び立ちの瞬間、やっと浮いた体重の下を微かに羽根の先が雪を掻いた痕跡。

立ち止まり、何か考えるように小さく回り、また歩き出す一本の点線。脚を踏み出すたびに、深い雪をほんの少し引っかける。それが転がって微かな線を残す。柔らかな窪みは、そこで狐が束の間の休息を得たことを示している。小さな動物が雪に半分埋まりながら、うねるように歩く。それらのイメージを、半分は動物になって追体験してみるのが冬の愉しみの一つ。葉を落とした灌木の茂みの中に、野生の梨が鳥たちに見つからず残っていたりする。それは天からのご馳走だ。

下北風景 / Landscape

下北風景 パステル、クレパス

久しぶりに風景画を描いてみようかと、スケッチブックに子どもが使った残りのクレパスなどで、イメージを描いてみた。

母を見舞った病院から1.5kmほどの、道沿いにある民家。車の出入りする轍の跡がなければ人が住んでいるようには見えない。晴天の雪景色だったが、そのままではまるで観光写真に見えるので、月夜を思わせる、青い風景にしてみようかと、2〜3枚スケッチした。

絵の半分は見る人が描くものだ、という考えが近年強くなってきた。文化とか環境とか生命という大きな次元の中で、「個」ということの意味が私にとっては随分変わってきた。始めに個ありきではなく、どう生まれ、どうやって輝くのか、少し考えるようになってきた。

 

稀勢の里は相撲協会の犠牲者でもある

 

横綱・稀勢の里が昨日から休場した。このままでは引退しかないと思っていたので、ある意味ホッとした(引退しない方がいいという意味ではない)。

稀勢の里のファンではない(ここ数年は安美錦、1年ほど前からは御嶽海のファンだ)し、彼自身の下半身の鍛え方に大関時代から疑問を感じているが、それとは別に、彼の為に一言弁護しておきたい気がする。

一言で言えば、横綱にするのが早すぎた。横綱昇進には内規があり、原則2場所連続優勝およびそれに準ずる成績が必要だ。「ここ一番に弱い」稀勢の里の場合、昇進となった場所中にも比較的厳しい条件が横綱審議会、報道周辺でも取り沙汰され、「仮にこの場所で優勝してもすぐには…」と言ってた筈が、棚ぼた絡みの優勝したら、とたんに「優勝したんだから、いいじゃないか」「白鵬に一番勝てるのは稀勢の里じゃないか」と、手のひらをぐるぐるとひっくり返して横綱にしてしまった。日本人横綱が誕生すれば相撲人気が高まると踏んだ、協会とその周辺の打算の産物以外の何ものでもない。

稀勢の里自身も最初は驚いた筈だ。けれど、彼の口から「まだ早い」など言える立場でもないし、相撲の世界に入ったときからの、憧れの地位が転がりこんできたことに喜ぶのは当然のことだ。このことでの稀勢の里自身に罪はない。

かつて一度も幕内優勝のない力士を横綱にした悪例がある。第60代横綱双羽黒だ。結局彼はその後も一度も優勝出来ず、早々に相撲を引退した。協会の都合で内規を無視した悪例の最たるものだ。内規である以上、必ずしもそれに縛られることはないとはいえ、それを犯してでも強行する以上、結果責任を負うのは当たり前のこと。

先日の暴行事件問題をみても、協会には反省する能力も、先を読む想像力もないと考えてよい。逆に稀勢の里がその内規を胸に、何とか世間が納得する形にしたいと無理した結果の、横綱になってすぐの負傷・初優勝ではなかったか。相撲協会はスポーツ団体のふりをした、ただの興業団体だ。それを国技呼ばわりして、別格扱いする文科省にも、毎場所完全生中継するNHKにも責任がある。横綱の責任云々のまえに、自分たちの都合で横綱にした責任を取るべきときではないか。