サービス

                アリスの秋(水彩) ※11/06に制作中の絵があります

サービスといえば、提供する・奉仕するという類の意味で、その対象はたいてい他人に対して。アトランタ五輪・マラソン銀の有森裕子選手の「自分で自分を褒めてあげたい」は名言だが、それは逆説的にそれだけ自分に厳しくしたという意味だから、自分へのサービスということにはならない。

「情けは人の為ならず」。これを他人への同情は禁物、という真逆に解釈する人がたまにいるらしいが、もともと「人に情けをかけなさい」という意味で、他人にかけた(つもりの)情けは結局自分自身にかけたものなんですよ、ということだ。やや世知辛くもあるが、流行語にもなった「おもてなし」の、拝金主義を裏返したような言い方より、こちらの方がずっとサービスの精神に近い。

ちょっと脱線したが、最近になって「世の中・社会=サービス」だということを感じ始めた(あまりにも遅すぎる?)。ただし、サービス=相応の対価という意味だけではない。もう少し広く、精神的なもの(無意識的なものまで含めて)まで含めたい。西欧社会ではギブアンドテイクが徹底しているらしいが、まずギブ=サービスをテイクより先にすることが重要である。ケチな人が嫌われるのは、そういう思想が底辺にあるからに違いない。人に目を向けること(冷たい目でさえも)=サービス。人と(できるだけ)争わないこと、それもサービス。モノや好意とは限らない。

サービスがあれば、それを受け入れることも一つのサービスであり得る。だから「わがまま」は時にはサービスの拒絶、サービス精神の欠如ということになろうか。じぶんではサービスだと思うことも、時には押しつけになりかねない。なかなか難しいものだなあ、と思うことが多くなってきた。