包丁一本、筆一本

顔の習作 水彩・ウォーターフォード紙

7日のブログをすっ飛ばしてしまった。深夜12時少し前、ブログを書き終わって、一杯のワインを注いだのがいけなかった。日付が変わるまでにまだ15分くらい余裕がある。どの写真をブログにつけようか、などと考えながら、ごくりと一口喉に流し込む。その前に短いニュースでも見ようとYouTubeを開いた。ウクライナ、ガザ、パーティ券のキックバックなんて見ているうちに、誰が注いだのか、2杯目が。
 すっかりアップロードしたつもりになっていた。翌日、あえてアップするほどの内容でもないか、ということでスルーしてしまった。

風呂吹き大根の真ん中に芯が残って、箸で4つに千切れない。熟し過ぎてふにゃふにゃになった柿が、皿の上にだらしなく伸びていて、手で持ちあげることが出来ない。包丁の出番である。とりあえずどちらも十字に切りさえすればなんとかなる。アーメン。包丁って便利な発明品だとあらためて考えた。
 「それを言うなら鉄の発明、だろ」と正当過ぎるツッコミを入れないでもらいたい。ちなみに、我が家でこういう状態の柿を食べるのはわたしだけである。特に好んでいるわけではないが、なぜかときどき目の前に寝そべっているのである。今年は特にその頻度が高い。が、迷惑なわけでもない。硬い柿と、ぐでぐでの柿とはまったく別種の果物だと割り切れるかどうか、だけである。一度など、すでにアルコール発酵が始まっているやつも食べたことがある。もはや珍味である。

そう、包丁の話だった。モノを切って食べるのは人間だけだ。他はすべて丸呑みか、歯で切り裂くか噛みきるだけ(吸血するやつもあるか・・)。呑み込めるのかと思うほどの大きな魚を、喉の半分くらいのところでつっかえたまま、ジレンマに悩む鳥。こんな時、彼らに包丁があったら、何の苦もなく、刺身でも、ステーキにでもして食べられるだろうに、と思わざるを得ない。水牛の角をワニはどうやって口の中に入れるのだろうか。心配してやる必要はないが、心配である。包丁さえあれば、もし噛みきれないほど硬いものでも、そのうちなんとかなる。顎を怪我しても、肉を噛みきる歯が折れても心配ない。有難い発明だと、つくづく感謝である。
 あっ、筆のことね。筆で文字は描けない(わたしの場合)が、絵は描けるから便利だなーっと。無くても絵は描けるけど、一応便利。