期待などされずとも

10年も咲けなかった窓辺のサボテン

繻子蘭に続けとばかり、窓辺のサボテンに花が咲きそうだ。わが窓辺にては咲きたる記憶なし。買った時にはおそらく咲いていたと思うが、それ以来の開花だろう。少なくとも10年にはなる。小さな鉢にぎゅう詰めの寄せ植えだから、それぞれが成長する上でギリギリの凌ぎ合いがそういう結果になっているのだと思っていた。

それが今年咲く(だろう)とはどういうことか。確かに今年は何粒か肥料をあげたかも知れない。でも、今年だけでもない。寄せ植えの一部を他の鉢に移したら、短期間ではるかに大きく太く育った。依然としてこの鉢がぎゅう詰めの、育ちにくい環境であることは間違いない。

当然のごとく花など期待していなかった。サボテンに意思があって、無理やり咲いてみせようとしているわけではなかろうが、生き物はこうしていつも(咲く)準備はしているのだな、とは感じた。

繻子蘭(しゅすらん)

繻子蘭の花が咲いた(背後の明るい緑の葉は無関係)

繻子(しゅす)は織物の一種のこと(英語ではSatin:サテン)で、基本的な織り方のひとつだが、あまり耳にしなくなった。引き締まった独特の光沢をもつが、それがこの蘭の名前に繋がったのだろう。

繻子蘭は(写真では見えないが)葉の下に、蛇がくねるように太い茎が低く伸びていく。「這うように」と言ってもいいかも知れない。葉はやや厚く、表面にはビロードのような光沢がある。深く濃い緑の葉の中に、赤い葉脈が付け根から先端まで幾筋か平行しているのも絵的に美しい。寒いところが苦手で、だいたい人と同じくらいの温度が好きらしい。

2日ほど前から花が咲き始めた。花はとても可愛い。とくとご覧あれ。花の大きさは直径1cmほど。カトレアのような「あばずれ女」と比べれば、いかにも清楚可憐。比較的太い茎の割には小さめの花というのも、私には好ましい。「本当に美しいものは、たいてい地味であり無口である」を実感する。

 

未完の完

題名不明     2000〜2005年頃 油彩 163×130cm

先週5月の気温と言われた木曜、金曜日のあとは、再び2月の寒さに戻るという天気予報だったが、今朝も引き続き暖かい。今年はもうこのまま春になってしまうのかも。と思ったら庭に雪がある!夜のあいだに降ったらしい。

春愁、という語がある。どこといって身体に悪いところはないのに、何となく気分が塞ぐ感じを言うようだ。今はまさに春愁。なんだか全てがゆっくり逆回転しているような、嫌な気分。心臓は問題ない、と思うが心に問題がある?

写真の絵は同じく最近剥ぎ取った作品。未完成のまま放ったらかしていた。どう仕上げていいか、分からなかったからだ。何年も考えても、分からなかった。今も分からない。おそらく、既に描くべきところは描いてしまった。感覚はそう言っているが、頭がついていけないのだ。自分でも理解できないうちに、絵は完成してしまった。絵とはそういうものかも。表現も面白い。