北朝鮮ニュース

北朝鮮のキム・ジョンウンの兄、キム・ジョンナムがマレーシア・クアラルンプールで暗殺され、さすがのトランプ、小池両氏の話題もマスコミから少し遠のいた。庶民はまるで安物のスパイ映画を見ているような気分だろう。我が家も例外ではない。

でも、報道が北朝鮮関連に偏るようになると、(ニュース専門チャンネルでない限り)ニュース枠の中では当然他の重要なニュースが削られていることになる。しかし、私たちの大多数は、その「削られたニュース」が何だったか、を知ろうとはなかなか思わない。ましてやそれこそ隠された狙いだったりする、などとは想像もしない。ニュースにも報道側からの序列があるだけでなく、知りたいニュースと、知らせたいニュースとの間にも大きなギャップがある。

かといって、私たちが個人的にそれらを調べ直すなど不可能だ。できることはニュースを多元的にすることだ。今のパソコン、スマホなら翻訳機能も(十分とはとても言えないが)ついていて、海外からの見方も少しだが解る。国内の地方新聞、テレビもいくつかはヘッドライン程度ならざっと見渡すことができる。

まずは、一つのニュース元に頼りすぎないことが大事だと思う。「事実を報道すれば国民が動揺する」から「親切に」事実報道を控えた、と堂々といってのける報道機関の長もいれば、それを「有り難い配慮」という人々もいる。それが結びつけばどういうことになるか、考える必要がある。

家庭科の先生

男子厨房に立ち入らず。誰言ふとも知らず、世間にてはただ男の厨房仕事の手伝ひを厭へる分別ならん。我が家にては盛んに「男子、繁く厨房に立ち入りたまへ、helpしたまえ」と呼ばわれるも、男子何故かいずれも耳遠く、聞こえぬが難なり。

我が妻、「料理、洗濯、掃除」の先生也。「先生」の意、「不如意現実」。往時「唐変木」先生の遠隔子孫なり。先生その血濃厚なるを家人驚嘆す。是ダーウィン卿定理の奇跡の証左とならん。

以下に先生の偈、その一例を挙ぐ。料理:「料理は簡単を以って旨とすべし」簡単するに、お惣菜買えば佳し。是非もなし。洗濯:「洗濯の要は清潔にあり」。使い捨てに勝る清潔なし。先生曰く、「干せば花粉など浴び」ると言ひ、「以ての外」。至極ご尤も。掃除:先ず以って、ゴミを出さぬが要なり。塵芥の類、自然循環にて雲散すべし。人亦自然の一部なり。塵芥にて苦しむなどまさに自業自得とも心得、先ずは心療科にて「清潔病」なる病の心療を施すが肝心。ビニール袋など古来在らぬものにつきては、人知の及ぶところに在らず、勝手次第とのたまう。ただ神のみぞその行方知るところなり。

 

 

三宅一生 / Issei Miyake

これは何でしょう?

三宅一生(みやけいっせい)の服のデザイン。ショートのワンピース。下から頭を通し、上の丸い部分を肩まで折り返す。赤い部分が袖で、手の甲まで覆う。正面は谷折りを広げたようになる。

三宅一生は一枚の布を、「折る、穴を開ける、閉じる」という、極めて基本的、かつシンプルな手数だけで「服」という概念を満足させるデザインにチャレンジしてきた。いわば服飾のミニマリズムを目指してきたということ。しかも、同時にモダンデザインでなくてはならない、というハードルを自ら課して。

それが優れたデザインであるかどうかは技術的な問題。大事なのは何故一枚の布(でなくてはならない)なのか、それが正しい問いなのか、さらにそれをどう検証すべきなのかを「自ら考える」ことにある。三宅一生が、その辺のデザイナーと別格なのは、いまだその問いの只中に居ようとしていることにある。