ひとが死ななければならないことって

「黄色い壁」水彩 コットン紙

タレントでYouTuber の「りゅうちぇる」さんが亡くなったというニュース。自死(こういう言い方もどこか気になりますが)だという。活動自体も詳しくは知りませんでしたが、あの人懐っこい笑顔からは想像もしていませんでした。どんなにか苦しんだことだろうと、心が痛みます。

昔より、といってもいつのことと比べたらいいのかわかりませんが、現代に近づくにつれて理不尽な死が増えているのではないかという気もします。生命はもともと死を望んではいない(たぶん)ので、すべての死は理不尽なものだという言い方もあるかもしれませんが、わたしなりにいえば(全然定義になっていませんが)、よりよく生きたいという希望に反する死のことです。

ウクライナ戦争でも、多くの若い命が毎日数百人という単位で亡くなっているのをわたしたちは知っています。ロシア軍であろうと、ウクライナ軍であろうと、戦争への大義名分があろうとなかろうと、本当のところは、戦争で命を捨てたいと思っている人など一人もいないでしょう。戦争のような、もちろん本人がしたいわけでも、始めたわけでもなく、やらない方がいいに決まっていると誰もが理解可能なのに、そんなことで死ななければならないなんて、なんて理不尽なことでしょうか。けれど、個人では止めようもない大きな力が人を死に向かわせます。その力はどこから来るのでしょうか。なぜなぜなぜと問い詰めていくと、誰でもあることに思い至るでしょう。

病気、事故、自死で、私自身の周りでもすでにたくさんの人が亡くなりました。死は生命あるものに必ず訪れる宿命ですが、だからといって他者がどうこうしていいものではありません。どれほどの死者があろうと、それぞれの命はそれぞれ100%であって、それ以下になるわけではありません。「死」は本人でさえ触れてはいけないもの、なのです。なのに、人を簡単に死に追いやる「言葉」「制度」「欲望」。世界にはいま80億を越える人間がいます。その知恵の積み重ねが、これなんでしょうか。