「昭和」という時代

2日前にアップしました

どこまで貧しさに耐えられるかは本人の問題だけでなく、周囲との環境との問題でもあるかもしれません(おっと、いきなり「貧しさ」しかも「耐える」から、ですか?)。周囲の誰もが貧しい時は気持ちの共有があり、モノの貧しさはあっても精神的には比較的平易だったようです。落語の八っつぁん、熊さんの世界ですよね。そこに現代のわたしたちも共感できる理由はたったひとつ、「わたしたちもそうだった」からです。

 わたしは戦後生まれなので、第二次世界大戦後の日本人が、アメリカという国の本当の政治、経済の豊かさに触れることが公に許されて、近世以後では黒船来航以来、二度目の自分たちの貧しさに気づいたという歴史的事実を学んでいます。
 その貧しさを、「物質的なものだけ」と勘違いして頑張ったのが1970年代の「高度経済成長期」だったでしょう。わたしのひとつ上の世代です。日本人はアメリカ人以上に鼻を高くしましたが、精神の豊かさなどそっちのけで、お金を稼ぐことだけに夢中な時代でもありました。ベトナム戦争が終わる頃、戦争せずに済んだおかげで懐が少し膨らみ、最先端の働き蜂たちが少しくたびれ始めた頃になって、やっと「貧しさから抜ける」から「豊かさって何なの?」と考える余裕が日本にも生まれたように思います。

 現代はどうでしょうか。「豊かさってなんなの?」と考え始めた1980~90年代のちっぽけな「余裕」さえ今はありません。一応GNP世界第三位の日本ですが、経済以外のあらゆる分野で遅れはじめ、世界についていけなくなりつつあるのが現状なようです。
 昭和の時代「経済一流、政治は三流」と言われた日本ですが、今、わたしの見るところでは「経済二流、政治は最低よりちょっと上」。政治はどんどん沈む底なし沼同然で、10年後、30年後、50,100年後へのビジョンというものが全くありません。世界統一ナンタラカンタラという団体から政策ビジョンさえ託宣されている始末。彼らが平成、令和とつづく時代で何を成し遂げ、何をつくったのでしょう。世襲議員の多い中、昭和の財産の上に乗っかってきただけではないのでしょうか。

 昭和の時代は確かに今より物質的には貧しかった。今はモノが溢れています。でも、それらのモノによって精神的な豊かさややすらぎを、わたしたちはちゃんと手にできているのでしょうか?昭和の時代がなんでも良かった、などとじっちゃんばっちゃんのような(実際じっちゃんですが)戯言は言いませんが、少なくとも「このままじゃヤバイよ」という不安を取り除くための、ビジョンを提示する発想も能力も政治には無さそうに見えます。いや、もしかすると日本だけでなく、世界の多くがさまよい始めているのかも知れません。皆があの時代は良かった、などと言わずに済む世の中になってほしいものです。