元気出そうぜ!

Apple-海を渡る(未完成)

やっと写真を載せられる状態まで漕ぎつけました。とりあえず、安堵しております。まだ未完成ですが、ここまでくれば(たぶん)6月までにはゴールにたどり着くでしょう。いや、あまりのんびりすると次第に疑念が湧いてきて、下手をすると作品を放棄してしまうこともないわけではないので、なるべく一気に今月中には終わりにしたいところです。

展覧会までには皆さん記憶を失ってしまうと思うので、安心して解説します。できるだけ早く忘れてくださいね。
 テーマは「海を渡る」(本当は「航る」と書きたかったのだが、漢字変換で出てこない。とりあえずこれで)。冒険ですね。子どもの頃、丸木舟(のようなもの)で沖にでたとき、ちょっと怖い思いをしたことがあり、そんなことで「たらい舟」だの「お椀舟」だのを見たり聞いたりすると、怖さと冒険心が絡まって心に浮かんでくるんです。

Appleはりんご、舟はホタテ貝。どちらも青森県の重要物産品です。それを外国へ輸出する図、にも見えますが、わたし自身はけっして経済界の人間ではないので、たまたまそんな風にも符合するというだけです。かたちに現れない本当のテーマは「色と線」。ふつう、「線」はかたちをつくる要素の一つ。ここでは線が色に溢れ、むしろかたちの認識をを邪魔する役割を持たされている。まだまだ線のパワーが足りないが、どうやったらもっと強度のある「色の線」が描けるか、研究中です。色の研究も同様です。

もうひとつのキーワードは「元気」。これはわたし自身の元気を奮い起こすために描いているのでもあります。これまでは心のどこかに、絵のためにはどこかで自分を犠牲にしなくっちゃ、という気持ちがありました。でも、それはいけないと最近は思うんです。絵は描く人も、見る人も、たとえそれが苦し気な絵であっても、最終的には人に力を与えてくれるもの。ならば、最初から元気な方がいいんじゃないの?という気持ちで描いているんです。

リテラシー

写真(YouTubeサムネイル)を見て。この、ブルーっぷり。ブルル、こんな陽気だっていいうのに寒気がするようなサムネイル。なんで、こんな陰気な動画なっちゃうのかと、自分でも悩むんですね。

誰も見てくれなくてもいいから、「自分は自分の仕事を全うしたい」と思うとこうなっちゃうのかな。「けじめをつけなくちゃ」と思ってるんだね、それが「昭和世代」の特徴だと言われるけれど。で、(肝心の)ケジメがきちっとつけられたか、って訊かれると「よくわかりません」っていうんだからどうにもならないサ。

それぞれの分野への適応能力を「リテラシー」というらしい。たとえば「情報」分野なら、情報への興味、関与の程度、適応能力など。だから、同じ「リテラシー」でも、「世界のセレブとの交際リテラシー」なんかの“能力ゼロ”でも、わたし的には全然困らないが、ワクチン接種だの、国や自治体への申請だのがインターネット経由だと、一定の「リテラシー」がないと、市役所へ行ってイライラと職員を怒鳴ったりする羽目になる。

そういうわけで「スケッチのリテラシー」らしきものを身につけさせたい(上から目線か)という(わたしの)願いは、現代の情報リテラシーという見地からは、“著しく”逸脱・時代遅れになってしまっている。現代ではデッサンの修練などより、カメラの勉強、をし、プロジェクターでも何でも使えば、いかに写実的なデッサンでも、誰にでもできる道が開かれている。それを文明の発達というんじゃないの?そ、その通りだね、うん。
 「シルエットから描く」なんて、タイトルがすでに、自ら時代遅れだって宣伝して回っているようなものだった。もっと情報リテラシーを身につけなくちゃだめですね。あ~あ。時間がないと言いながら、こうして意味ないことに時間も体力も浪費してしまっているんでしょうか・・。

よくあるミス

anemone 水彩 F8

12:40、あっ、いけねぇ、と思ったが、もう日をまたいでしまった。奇数日にブログを書くことを今年の目標にしていたが、すでに2回目のポカ。記事はすでに書いてあり載せるだけにしていたが、公開予約の方法が分からず、「まあ、時間に余裕があるから」と安心していたのが良くなかった。

おかげで記事も新規に書き直すことに。写真の水彩は、背景をどうしようかとひと月ほど放ったらかしているうちに最初のアイデアを忘れてしまったので、適当にまとめてしまった。人形の髪の毛の表現をどう“手抜き”しようか、そのテストのためだけに描いたものではあったけど。

眺めていると、色のバルール(ボリューム感。膨張感)の問題がよく解る。解説すると、アネモネが人形より手前にあるのは「論理的に」理解できる。一方、「視覚」の問題としてだけ見ると、花が奥にある白い鉢?と繋がって、人形をぐるっと取り囲むかたちになっている。そして白っぽい=「彩度が低い」。そのため、奥の鉢は自然な距離感に見えるのに対して、アネモネの方は人形より引っ込んで見える。これが“バルールの問題”である。※バルール(valurue)はフランス語で「価値、容積(量)」などのことで、英語のヴァリュー、ボリュームに近い語。

“明るい-暗い”の単純対比なら明るい色が手前に見えるが、“明るい-高彩度”ではそう単純ではない。“明るい・低彩度-暗い・高彩度”や“明るい・高彩度-暗い・高彩度”などなど、何通りかの組み合わせができるからだ。この場合は、“明るい・低彩度-暗い・高彩度”の例で、「明るさ」に「高彩度」が勝っているから、この現象が起きる。
 正しいバルールにするには、①花を白ではなく、鮮やかな色にする、②人形を暗く、または低彩度にする、のどちらかまたはどちらも、を実行することになる。一個のアネモネが実際に髪の毛の奥にあることも、その錯誤を強める結果になっているが、その意味が解りますか?
 こういう「造形の基礎」的なことも、言い方は「基礎」だけれど、実際はかなり奥の深いものです。そうした知識・理解を活かせるようになると、絵がとても豊かに見えてきます。可能な限りそういう時間を作って、知識をインプットするようにしたいものですね。