自由・表現―2

Mu.da.i 2021.11.16

前回は、本当の自由を得るためには「自分からも自由になる=自分(の欲望・煩悩)を捨てること」という、ある禅僧の話だった。なるほどなあ、とわたしは思ったが、同時に世の中の99.99%の人には無理かなあとも考えた。

欲望・煩悩を捨てて得られるものは何もない、いや、本当の自分と自分の時間が得られるというのだが、それがどう具体的に現れてくるのかは判らない。そうした「悟り」近い心境に至って初めて見えてくる自分・自分の(行動)表現というものはあるだろうと想像できるし、そうでなければできない表現というものも思うことはできる。

一方、99,99%の人の中には、むしろ正反対に欲望・煩悩に忠実であろうとする人もいるのではないか。「人目を欺く」ことを目的にどんどん先鋭化させていく、そんな方向性。その行きつく先はどんな世界なんだろう。なんだか、わたしには幼虫が自分を羽化させて、蝶になる毛虫の姿が重なってくる。毛虫がその時点での「自分」だとすると、やっぱりそれまでの自分を捨てて-本当の自分になっているんじゃないんだろうか。

そこでは一つの輪のように、同じことの異なった位相を見ているだけなのかもしれない。もしそうならば・・・。でも、どっちにしても中途半端はダメなんだな(いや、単なる位相が本質ならば、それもまた同じことなのかも知れないが)、とわたしは(現時点では)感じている。そしてやっぱり99.99%の人はきっと中途半端な人に違いないとも思っている。