「日本的」独善はダメ

「西洋梨 」         テンペラ+アキーラ

日本が国際捕鯨委員会「CWE」を脱退するつもりだ、というニュースに唖然とした(2018/12/20)。私は鯨肉を食べないから関係ないと思ってる人が大半だろうが、そういう次元の問題ではない。

日本は鯨を商業捕鯨するための資源調査と称して調査捕鯨を続けている。世界の目はその「資源調査」自体に疑いの目を持っている。なぜなら、毎回のように調査した後の鯨肉を特定の業者に卸した前科があるからだ。世界は、隠れた「営業」ではないかと疑っている。実際に鯨肉を一部業者に流通させているのだから、その疑いは当然だろう。脱退云々の前に、まずその疑いを晴らす努力がもっとなされるべきだ。

鯨を食べたことがある人、あるいは今も食べている人自体、日本全体ではおそらく1%もいないのではないか。私自身は子どもの頃のお弁当のおかずに鯨のベーコンを食べた時代を含め、百回くらいは食べている(捕鯨が禁止されている種類ではなく、ハマゴンドウとか、そういう種類だと思う。けれど反捕鯨国の人々にはイルカと同レベルで見られ、眉を顰められる)が、特別に美味しいものだと思ったことはない。個人的な好みは否定しないが、鯨の国際連盟「脱退」と一緒にしてはならない。

日本が主張するのは「独特の食文化の存在」と「(日本独自の調査による)十分な資源量の存在」だ。けれど、それを、全く鯨肉を食べようとしない人々に納得させるには、それ相当の覚悟(努力)が要る。そうした海外の人々への説得の努力をどこまでやったのか、その方法論を含め、極めて疑問だ。「言ったって無駄だ」という「当事者意識」。そして「ここまででも十分よくやった」という身内意識だけで判断するのは極めて危険だ。

国際連盟を脱退した日本の全権、松岡洋右が国際連盟総会議場を立ち去るシーンを思い出した人は私だけではない筈だ。「唯我独尊」は国際社会では「ご法度」だ。「短気は損気」、そんないい言葉も日本語にはある。文化の国際的理解には百年単位の時間がかかるという覚悟をもたなくてはならない。どんな場合でも、日本は世界と繋がっていなくては生きていけない国だ。