「失敗」の「成果」

「少し急ぐ」 水彩・F4   2020.12.12

「失敗」と「成功」は正反対の概念のように思える。一見両立しない、コインの表裏のようだが、よく見れば「表」と「裏」はわずかな厚みの差だけ。「失敗」と「成果」ならどうだろう。「成果」は、失敗からも成功からも得ることができる。私の場合、特に失敗から学ぶことの方が、これまでは大きかったように思う。

失敗から多くを学べるようなケースもあれば、成功はしたものの、僥倖的な成功体験が次の大失敗につながる事例を、私たちは日常的、歴史的に経験してきた(している)。「失敗は成功のもと」は、まだまだ死語ではない。

「なぜ失敗した(する)のか」。冷静で粘り強い分析は、よく言われる「プチ成功体験」より、ある意味でかなり積極的な姿勢だと思う。失敗から目を背けず、失敗という他人目線の批評を越えて、未来を肯定する指向性をもっているからだ。そもそも、行動しなければ失敗さえできない。そのうえでそういう指向をするとき、「失敗」はすでにひとつの立派な「成果」だと言ってよい。

私たち(日本人)は、失敗をつい「自分の力の無さ」「人に迷惑をかけた」などと卑下しがちで、失敗を「怖れ」「隠し」、それゆえにことさら他人の失敗を非難したくなる国民性を持っているようだ。そうした「失敗の個人化」ではなく、「失敗こそ共有財産」と認識し、多くの人の意見の中でその分析をし、未来に繋げていく、粘り強い冷静さを持ちたい。そのような国民性を育てるためには何が必要か、私たちの国には、これまでそうした論理性が育たず、実際ほとんど考えてこなかった。コロナ禍の中で、あらためてそのことを感じる日々。

「美しい日本」から「狂った日本」への道

千葉県・関宿城公園の紅葉

今年は紅葉がきれいだ、とラジオで何度も聞いている。近所を歩いても殊更には感じないが、それなりにきれいだとは思う。車で近くの関宿城公園へ行ってみた。車で25分の距離だが、ふつうのママチャリ自転車でも45分くらいで行ける(往復20kmくらい)。

午後3時ころ着いたから、もう「夕陽」に近かった。それの「赤み」を差し引いても、まだ中秋の風情の紅葉(写真)です。今年は暖冬とは聞かないが、昨年の「例外的な」暖冬につぐ「例外」なのかもしれない。快晴の日差しも暖かく、3℃~14℃とはとても思えない穏やかさだった。

一方で哀しい現実も見た。この公園自慢の、関東でも指折りの辛夷(こぶし)の大樹がついに朽果て、見る影もなくなっていたこと(写真はあまりに痛々しく、掲載しません)。この木のそばで、いろんな思い出をつくったなあと、しばし感慨に浸った。

書くのをやめようかと思ったが、やはり記録のために書いておく。コロナ感染拡大とGoToキャンペーン。「国民のために働く」と銘打っておきながら、ことごとく「説明は差し控える」菅内閣。安部から引き継いだ、日銀の無制限国債買いによる「見せかけの好況(株価だけ)」、予想されていた「働き方改革による」自殺率(特に若い女性の)の大幅アップ、(コロナによらない)失業率の増加。オリンピック(無料・有料ボランティア)と「パソナ」)、皇嗣・皇女関連のメディアの視点の浅はかさ、等々あげればきりがないのに、内閣支持率が落ちないという「国民の常識」。だめだ、ここだけでもスペースが足りん。(2020/12/01)