ウサマ・ビンラディン暗殺?

2001/9/11のアメリカ同時多発テロの首謀者とアメリカに追われていた、ウサマ・ビンラディンがアメリカ海軍の特殊部隊に暗殺されたというニュースが5月1日耳に飛び込んできた。

場所がパキスタン・アボタバードと聞いて、大体の地理や気候風土の感じは分かった。さらに本当かな?という半信半疑の気持ち。これまでビンラディン殺害のニュースは何度も流されていたからだ。

アメリカ政府は替え玉疑惑を拭い去るため、顔写真を公表するか、作戦の残忍さを感じさせないよう非公開とするか、慎重に検討中だという。ネットではすでに「ビンラディンの死体」や「銃創のある血だらけの顔」が流れている。私もすでに見たが、確かに鼻の形や開いた口の形、さらにそこから覗いた歯の形など、ほぼ本人ではないかと感じた。アメリカ国務省内ではDNAで確認されたと公表している。しかし、写真などいくらでも偽造が可能だ。真相はまだ分からない。

アメリカの司法長官は「法律上は何ら問題ない」としているが、これに納得する人なんているのだろうか?勝手に人の国に軍隊を送り込み、(本人かどうかの確認は殺害した後にして)住民を殺し、証拠隠滅のために(実は軍事機密保持のため)乗ってきたヘリコプター1機を爆破し、逃走。これを、侵略でなくて他に何というのでしょうか?勝手に空母上で葬儀、水葬する。明らかな遺体の損壊(証拠隠滅)までやって、それで「法律上何ら問題ない」?アメリカ国内でさえ問題でしょう?パキスタンではアメリカ国内より自由に、好き放題やって構わないと言っているわけだ。

アメリカの自由主義は、アメリカ人の自由主義だと、いつも思わされる。が、おそらく日本政府は「歓迎」の意を伝えるに違いない。「犯罪者だから殺されて当然だ。」でも犯罪者になるのは裁判の後、ということは法治国家の常識だし、それがアメリカの国是であるはずだ。

CIAのファイルによれば、ビンラディンの皮膚の色はオリーブグリーンと記されているらしい。白を優越とする人種差別意識は完全にはまだ拭い去られていないのだと感じる。日本人は黄。微妙な色だ。美白は今や日本女性の国民運動となっているが、確かに日本人にとって白はある意味で特別な意識や美しさを持っている。でも、せっせと美白化して白人より白くなっても、アメリカ人のこの(心に沁みついた)壁を簡単には乗り越えられないと感じた。

シェルターの花(その2)

シェルターの花 f6 Mixed-medium

前回のバリエーション。基本的にシンメトリー(左右対称)の構成だが、どうなんだろう?しばらく眺めることにする。砂漠の砂の中に、夜露!がしみ込んで砂がセメント状に固まり、きれいなバラの花の形を作り上げる現象がよく知られている(私も何個か持っている)。そんな風に、砂をスコップで掻き上げたら、中から勢いよく花が飛び出てくる。そんなイメージ。砂それ自体がシェルターであり、カプセルは自分を守る二重の自衛機構?

国展を見よう-あとはぼんやり過ごす

5月1日、国立新美術館で国展を見た。国展は国画会という大きな団体が主催する美術展。知人もたくさんいるが、珍しく2人にしか会わなかった。メンバーでさえ、あまり出かける気分にならないのかなと思った。内容は、さすがにあまたある団体展の中では随一と思う。表現意識も、技術レベルも幅の広さも深さも現在の日本の頂点にあると思う。

彼らの絵を見たら、嫌なことを忘れていた。沈んだ気持ちでいても火を点けられる。負けられないとかいうのではなく、こんな風に頑張っている人たちと仲間でいるためには、自分ももっと頑張らなくては、そして彼らもまた頑張れといってくれているように感じる。彼らの絵の力だ。

連休は遠くにも、近くにも遊びには出かけたくない。渋滞も嫌だし、駐車場を探すのも嫌だから。子どもが小さい頃は、何とか楽しい思い出を作ってやろうと無理しても出かける、まあ平凡な思考の父親だったが、子どもが大きくなった最近では、平凡さに無気力が加わり、ちっとも出かけたいと思わなくなってしまった。

震災以来、私の内側も、外側も変わった。気持の上でも嫌なことばかり続くが、それでも無気力はまずい、無理しても出かければ必ず何か面白いものが目に付く。それが大事だと思うけれど、気持がついていけない。逆らわず、こっそりと独りで絵を描いたりして過ごす。絵もまだまだ他人の目を意識したレベルに留まっている。こんなんじゃ駄目だ。自作のつまらなさをじっくり味わうことにした。