不要なものは不要ではない

17年前のブログから

17年前はブログ(当時はホームページと言っていた。2代目のホームページ。現在のブログ「青いかもめ」は3代目にあたる)にこんなのを書いていました。懐かしい。そして今もその気持ちは変わらない。

ブログも最初はスケッチブックに描き、それをスキャンしてからアップしていた。寝る前に書くブログは時に面倒でもあったが楽しかった。2代目はパソコン上で描いたものが多くなった。現在のブログは3代目にあたる。

わたしのパソコンの先生は、彼が幼稚園児の時からずっと息子。まだひらがなも読めない時に、”press any key ” を「これはどれかのキーを押せばいいってことだよ」とわたしに教えてくれたのには驚いた。パソコンをあちこち触りながら、文字と操作を結びつけたのだろうが、その洞察力の凄さに驚いた。ローマ字を教えたらあっという間にローマ字入力をするようになった。

こういう手作り感のあるブログはいいものだ、とあらためて思う。例えば文字も絵も確かに「情報」でもあるけれど、手書きの文字には「不要な情報」がぎっしり詰まっている。不要な、とは例えば意味の伝達という意味では文字の硬軟や微妙な掠れなどは不要な要素にあたるだろう。けれど「○○さんの字」という意識から見ると、それは不要どころか、それが本質でさえあり得る。「旅」と「旅行」は違うという人がいる。目的地までの時間は短かいほどいい、と価値観が一辺倒になるのは寂しい。絵を描く原点もきっとそこにある。