リンゴ園の青い空

りんご園の青い空 (CG)

 100号のアイデアを小品用にアレンジしてみたが、さすがに単純に小さくした部分は細かくなり過ぎる。小品と大作では、作品に対面する距離感が全然違う。距離が違えば見る(見える)ものが異なる。モチーフが同じでも、サイズ(距離感)にふさわしいメッセージにしないと、伝わるものも伝わらなくなる。

斎藤典久さんの個展に行ってきた。アイルランドのアラン島という島に、もう30年以上通っている。その島自体に染みこんだ時間を絵画にしたいという。彼の絵を見ると、画家というのは歴史家であり、風土史家であり、地質学者であり、地政学者であり、気候学者であり、ペシミストであり、同時にオプティミストでもあるのだと思う。そしてそのうえに「絵の具を扱う専門家」。

今日上野の西洋美術館で「ピカソとその時代」展も見てきた。パウル・クレーの作品も思ったよりたくさんあった。わりと小さな作品が多かったせいで、これまで見たことのない作品が多かった。発表用の大作と違い、小品は一言でいえばビジネス用でもあるし、トレーニング用、研究用でもある。そこには作家の、大作に表現されるものとは別な一面が現れる。小品を見ると、ピカソの“意外な” 繊細さ(まじめさ)が感じられた。

しかし、何にせよ、今は絵を描くことが難しい時代だと感じる。無心に、平静に、楽しく絵に向かうことができない時代だ。マスコミ用語では「時代を超える」などと簡単に言ってしまうけれど、生身の人間にそんなことなどできるわけがない。たまたま、無心に、平静に、楽しく描けてしまったとき、タイムマシンに引っさらわれたように、結果として越えてしまうことはあり得るとは思うが。