ブラック・オリンピック

鳥のいる構図

オリンピックが始まった。とたん「オリンピック」の語がメディアから薄くなり、替わりに「Tokyo 2020」が前面に出てきたと感じる。すったもんだと手垢にまみれ過ぎた「オリンピック」のイメージを少しでも都合のいいように変えたいのかな、と詮索したくなる。

明日午後8時から開会式なのだそうだ。わたしの周囲では時折思い出したように「オリンピックっていつから?」と言い合っている。そのくらい盛り上がっていない。一方、ラジオやネットを見るたびに関係者の誰それが辞任とか解任とかが報じられる。NHKなどでは「異例の事態」などと間が抜けた感じで伝えているが、ほとんどの国民はすでにあきれ果てているのではないか。「安心安全な大会を通じて、震災から復興した(現政権下ではすでに死語化した)日本を全世界に発信する」が正真正銘のコントになってしまった。政府、組織委員会の会見を見聞きするたびに暗い笑いがこみあげる。

これほどまでに哲学のない国。ここまで教育の質の低下と歪みが浮き上がって見えてきた日本。皮肉なことに、オリンピックを巡るこのドタバタで、やっと国民にも日本の本当の姿が見え始めてきたのではないか。女性蔑視発言などに表面化した、口先だけの「人権」意識。近・現代史にそっぽを向き続けた歴史教育による、現代への歴史的視点の欠如が特に顕わになった。

開閉会式のショーディレクターの、かつてホロコーストを揶揄した経緯による開会式前日の解任など、もしも近・現代史を学んでいればあり得なかったであろうその幼稚さは、この国がどんな国になろうとしているかという哲学の欠如が結んだ、不幸な焦点だといえよう。皮肉にも、そのことをやっと国民に納得させたことが、菅政権によるオリンピックの、唯一の成果であり、意義となるのかもしれない。

投稿者:

Takashi

Takashi の個人ブログ。絵のことだけでなく、日々思うこと、感じることを、思いつくままに書いています。このブログは3代目。はじめからだと20年を越えます。 2023年1月1日から、とりあえず奇数日に書くことだけ決めました。今後の方向性その他のことはぽつぽつ考えて行くつもりです。

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