バランスのいい食事(2)

ヤマボウシ 水彩 F4  2009

人間(に限らないが)は(将来は分からないが)食事を欠かすことが出来ない。生きることと食べることとは不可分のものだから、古来からたくさんの経験や考え方が蓄積されてきた。すべての文化の中心に食があるのは当然と言えば当然である。

その歴史の中で「食をカロリーとして捉える」という考え方は、極めて特殊である。ごく素直に考えれば、おいしさを味わいながら、食べたい分だけ食べるというのが理想の食事観だろう。つまり、見た目や匂いや味を中心に考える、感覚的な判断に依る方が普通ではないか。そこにカロリーや栄養素という、感覚で捉える事の出来ないもうひとつの判断基準を持ちこんだのが、現代の食事観ということになるだろうか。

さらにもう一度素直に考えれば、カロリーや栄養で食事の質、量を規定していく考え方は食生活の習慣による病気が次第に知られてきた現代に合わせた、別の言い方をすればお医者さんの側(行政側からも)からの発想と言えるのではないか。楽天的な発想ではないが、健康観、幸福感が変わってきたことに対応しているということだろう。ともかく板前さんからの発想ではない。

現代において「バランスのいい食事」と一言でいえば、この感覚的な食事観と医学・予防的な食事観とのバランス、そしてカロリー中心に偏ってはいるが、栄養とカロリーのバランスのいい食事ということになるだろうか。

いささか結論を急ぎ過ぎだが、そういう意味でバランスのいい食事と言えば、実は糖尿病食(という言い方は正しくないのだが)だということを再認識したと言いたいだけなのだ。かつての糖尿病食は「不味いが病気治療のためには我慢するしかない」と言われたらしいが、最近は相当に工夫され、味覚的にも量的にも十分満足するように思われる(少なくとも私には)。何より、体から無駄なものが抜けてスッキリしていく感覚は小気味良いものではないか(と想像する)。

貧しい食事だと誤解していた糖尿病食こそ、実はバランスのとれた健康食であることに、恥ずかしながら全くの無知であった。バランスのとり方、考え方もまるで自分を主人公にしたゲームのようだということも初めて知った。

覚えたての知識をひけらかそうというのではない。その反対。私の食事をそのバランス感で見ると、実に滅茶苦茶なものだ。よくもこれまで大した病気もせずに過ごしてきたものだと、運とDNAに感謝するばかり。知らないということは恐ろしい。  2011/9/1

投稿者:

Takashi

Takashi の個人ブログ。絵のことだけでなく、日々思うこと、感じることを、思いつくままに書いています。このブログは3代目。はじめからだと20年を越えます。 2023年1月1日から、とりあえず奇数日に書くことだけ決めました。今後の方向性その他のことはぽつぽつ考えて行くつもりです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です