アヤメとアイリス

「ジャーマンアイリス」 水彩
コアヤメ
模様の拡大

アヤメとアイリスの時季になった。それにアジサイが加わって、青い花が増えるのが嬉しい。わたしは花が好きだが、特に青い花が好きだ。けれど、花全体の中では(たぶん)青い花は少ないのではないか、と思う。だから、ガクアジサイなどが至る所で見られる、この時季がいい。そういえば、矢車草もこの時季ではなかったかな。あの色も好きだ。

アヤメと菖蒲の違いはよく話題にされるが、「綾の目」のような模様があるのがアヤメだと、たいていの本に書いてある。そして、たいていは、その「綾の目」なるものがどういうものかについては、写真がない。

ジャーマンアイリスを何枚か描いた。そのうちの一枚の制作を撮影し、「リッチな色彩を考える」として、現在、ビデオに編集中。早くアップしたいけれど、今月はとても忙しいんです。
 それに前回のビデオ製作に疲れてしまい、アップロード後、4日間くらいは次のビデオのことを考えるのも億劫なほどだったので、すべてが遅れ気味になっている。そのため、昨日も絵を描かなければならないのに、結局一日中ビデオ編集に追われた。坐ってばかりだから、脚の血行が悪くなり、あちこちがつってしまう。

散歩道に、「コアヤメ」が咲いていた。コアヤメというのが正しいかどうかは分からない。グーグルレンズを向けたら、そう出ただけ。それが上の写真。目立たない、小さめのアヤメだが、間近にみるときれいだ。これが「綾の目」?コアヤメだから、ちょっとちがうかもしれないが。日本の、というより、もっとオリエンタルな感じがする。

マチス「自由なフォルム」展から

有名な作品の「下描き」です(撮影が許可されています)
教会の雰囲気を作っています(たぶん実物大)
7日からの平日に備えてか、思ったほどの混雑はなかった(写真が許可されています)

昨日(5月6日)、久しぶりに乃木坂の国立新美術館に行ってきました。国画会を見るのが主目的でしたが、体調も良かったので、少し無理してマチスの切り紙を主体にした「自由なフォルム」展も見てきました。もう一つ、「遠距離現在」という現代アートの企画展も見ましたが、これは上の2つとはかなり異質で興味深いものですが、ここでは触れないでおきます。

巨匠と言われる人たちに共通していると感じるのは、みな「自分に対して」まじめだなあということ。ごく初期のデッサンの練習から、絶筆に至るまで、ほんとうに自分のやりたいことに向かって一生懸命なんだと、つくづく感じます。
 「自分に対して真面目」というのと、自分勝手、やりたいことをやればいい、というのとの間にはちょっと説明が必要な気がします。「自分に対して」と絵画の本質、つまり、自分が信じる、「絵画の歴史的な流れ=本流」の両方に対して、「謙虚だ」ということです。(勉強するか、直感かは別として)歴史的な洞察力が必要だってことですね。話は飛びますが、いわゆる現代アートこそ、そのことを踏まえないと、単なる “脱線事故” になってしまいます。

 マチスも途中までは普通の油絵、普通の陰影による肉付けで勉強しています。けれど、それが本当に自分自身を表現するのにふさわしいのか、疑問を感じながら描いているのでしょう。いくつも、明暗法を自分なりにアレンジしながら、方法を探っているのが分かります。凡庸な画家とはそこがすでに違うんですね。上手くなるのが目的じゃないんですよね。

やがて、陰影法が自分に合わないことがはっきりしてきます(別のかたちの立体表現を試みる)が、いろんなアレンジを自分でやったみたからこそ、どうしてもダメだという結論を出せたのでしょう。他人のアドバイスに頼ってばかりいたら、迷ってしまって、そんなことはできません。
 陰影表現が合わないとなったら、もう線と色の表現に磨きをかけるしかありませんが、陰影法をきっぱり捨てられたマチスは、そこから一気に本物のマチスになっていきます。真面目な、努力家なんですよね。―いつも長くなって済みません。

ご無沙汰いたしました

ジャーマンアイリス ペン・水彩

まるまる3か月ぶりに書きます。今日は日曜日ですが、やることがいっぱいあって(しかも、ほとんどが「作業」)、すこし早起きしましたが、体調はいいので、今日の分はできるでしょう。

皆さん、ご無沙汰しました。体調でも悪いのかとご心配下さった方もいるかもしれません。ご迷惑をおかけしました。皆さんは、きっと穏やかにお過ごしくださったことと拝察いたします。また、よろしくお願いいたします。