あやめの秘密

「あやめの秘密」  水彩*アクリル ホワイト・アイビス紙

この絵を描く動機は、あやめの紫にどんな白をどう使うか、というテスト。「白」を中心に考えると、透明水彩や水墨画などは、もともとの紙の地色を「白」と「仮定して」描く技法。それを「仮定」ではなく、実際に白として使うのが「不」透明水彩(ガッシュ)やテンペラ、アクリル、日本画などの水性絵の具や油絵などの不透明技法。

透明水彩をベースに、一部だけ白を使ったら表現の幅が広がるというか、ラクに描けそうだというのがテストの中身。この程度のことは誰でも考え、すでにやっているのは知っているが、もう少し深く突っ込んでみたいと思った。

この習作の前から、「水彩+テンペラ」という方法で何点か試していた。併用の合理性は高く、効果も期待できるのだが実技が難しい。水彩は油絵に比べると乾燥が遥かに早く、制作の直感性、スピード感が生命、というところがある。テンペラは一見乾燥が水彩並みに早く見えるが、完全乾燥は油絵より遅いといわれている。そのギャップを手早い作業で乗り越えるのが至難だ。時間をかけて描くタイプの人には向いていると思う。
 というわけで、テンペラ以外の素材を研究中。ここでは単純にチャイニーズホワイト(亜鉛華)を使った。最も一般的なやり方で、やっぱり一番簡単だと再確認。小さい部分ならこれでよい。周囲の白はアクリルのモデリングペーストライトとチタニュウムホワイトの混合。ザラザラ感は下地の紙による。

ところで「秘密」ってなんでしょうね。誰にもはっきり見えているけれど案外気がつかない、それがヒントです。あやめの「綾」のことではありませんよ。

題名のつけ方

       「慈雨(あじさい)」 水彩 ラングトン紙

紫陽花(あじさい)の季節になった。ちょっと出かけるとわが家の庭だけでなく、どこの家の庭からも紫陽花が “こんにちは” と首を傾げてきます。

この絵を見ると、背景に見えているレオナルド・ダ・ヴィンチの、「荒野の聖ヒエロニムス」が「あじさい」とどう関係あるのか、紫陽花より先に疑問に思いますよね。
 「聖ヒエロニムス」は、悟りを得るため、あらゆるものを教会に寄進して荒野に修行に出ます。そこで足に棘が刺さって苦しんでいるライオンの棘を抜いてやります。それが背景の絵の情景です。

要するに絵のテーマは「(無償の!)愛」(当時のキリスト教会の「無償」についてはいろいろあるようですが)。「あじさい」に雨はつきもの。そこに「慈雨」というタイトルをつけると、バラバラだったモチーフがピタッと一つのピースにまとまる、と思ったんですが、理屈のこね過ぎかもしれませんね。

たまたま紫陽花の写真を探していたら、背景の一部に「聖ヒエロニムス・・」のページが偶然写り込んでいました。このかけ離れた2つのモチーフをくっつけたら面白いと思ったので、理屈をこねてみたのでした。左右の大きな対比も意識しています。

指絵

「カモメのいる浜辺」

ちょっと疲れてきたのかも。ルーティンになりかけた自転車ウォーキングも、ここ10日間ばかり積極的に行く気持ちが薄れている。特に体調が悪いとも感じないし、眠れないわけでもないから、それなら疲れかな?と思う程度。

「癒しの自然音」という、“睡眠用” の音がネット上にはたくさんある。鳥の声とか波の音などが多い。時々、夕方にかなり眠くなってしまう時があって、そんな時こういう音を流しながら横になることがある。けれど、効果があると感じたことがない。

むしろこういう画像を眺めて、勝手に想像する方がずっと癒される気がするし、ちょっと戻ってしまうけれど、こういう絵を描く方が満足感があって、(描くときはもちろん眠くないが)描き終わったあと、なんとなく心が軽くなる気がする。

絵を描くには技術やちゃんとした画材がなくちゃ、と最初に思い浮かべる人は多いらしいけれど、絵を描くには画材などない方がいいこともある。
 指一本で空中に描く。実際、わたしは半分無意識にそうしていることがある。すっと通り過ぎた人の顔の輪郭など、一瞬指でなぞっていたりする。そうすることで頭の中にかたちが保存される(気がする)。
 必要なのは、やっぱり「描こうとする気持」。そして、1分以内という時間。5分あったら、画材が手もとにあったら、「さあ描くぞ」と構えてしまって、逆に “指絵” が描けなくなる。他人に見えなくたって、絵は絵なのである。