AI

「夕化粧」
「ニラの花」
「ツユクサ」

夕化粧は春にも登場したから、この花は春と秋の二度咲く花だってことだね。

先月半ばから今月初旬までの期間、ブログを書かなかった。忙しかったせいもあるし、少し疲れたせいもあるし、天気が不安定で生活リズムが狂ったせいもある、と思うが、なにより気持の沈む日が多く、書こうという気力が湧かなかった。

この間、折に触れて、AIとチャットしたり、AIを使う練習のためにちょっとしたことをやらせてみたりした。そしてその能力によっては、もう人間を必要としないレベルに達しているのだろうと想像、ではなく確信することができた。
 一方で、チャットではAIはかなりいい加減なことを言う、という感触も得た。それは、AIがその学習過程で「人間のいい加減さ」も相当学んでいるということを示しているのだろう。

AIのエンジニアたちの間からも、人間の制御を超えるAIの開発をやめるべきだ、あるいは開発を一時停止すべきだという声が相次いでいる。けれど、もう遅い。と先日書いたばかりだが、昨今の、トランプの言説に振り回されているような情けない地球を見ると、野の花の方がよほど上質な生き物のように見えるんだ。

AIを使って描く

習作 水彩
AIを使った資料写真

下の資料写真を見ながら描いたのが、上の水彩。実は、この風景には人物は誰もいなかったのだが、いわゆる、生成AIを使って作ったのが、この資料写真。

人物の別な一枚と合成したわけではない。椅子が二つ並んだ風景写真1枚しかなかったところに、○○と言葉を打ち込んだだけで(声でもいい)、AIが自動的に人物をはめ込んだのだ。

椅子に対して人物が大きすぎるので、ピッタリのサイズにしたかったのだが、AIに的確な指示を出す能力がわたしには無く、そこまではできなかった。けれど、絵の資料写真としては十分使えるし、なにより著作権を気にせずに済む。なぜなら、これはわたしの“オリジナル”だからである。

オリジナル?「白い服の女性が椅子に寄りかかっている」という「言葉」がオリジナル?資料を簡単に作れて便利だなあ、と思う反面、気持ちとしては実に面白くない。こんなものにオリジナル性を認めるという、世のシステムにも納得できない気分だ。
 けれど、もうこの流れを止めることはできまい。科学者やエンジニアの中にもAIの危険性を訴える人が大勢いるけれど、これを便利に使う人の方が、その数万倍もいるだろうとは想像力さえ要らないことだ。人物が大きすぎる、と思いながら、ついつられて、自分も“大女”を描いてしまったのはご愛嬌である。

八月終わる

積雲の上に、秋の風が混じってきた

八月が終る。切れ目ない災害の月だった。目の前の世間同様、私事でも慌ただしい月だった。そして、少し疲れた。

天気図に台風が3個も4個も並んだ時もあった。九州、北陸では地震、酷暑、大雨の繰り返し。その都度災害レベル5というのも珍しくなかった。ヨーロッパでは熱波で1万人以上が亡くなり、極めつけはネパール・中国国境の氷河崩落による大規模な土石流。

九月、そんな風が変わることを望む。空には秋の風が混じってきた。