初夢

本当は、この絵の外側。何にもないところが美しい

美しいと感じる対象(モノとは限らない)は人それぞれ違っているだろうし、それが大事なことでもある。同じ一人の中でも、その成長の時期や精神の深化の過程で、対象も変化するに違いない。そして、多くは忘れられ、失われていく。美しさは一瞬。

初夢の中で考えていた。自分が、本当に美しいと思うものは何だろうか、と。あれでもない、これでもないと選ぶうち、ふっと「雪かも知れない」と湧いてきた。
 あとから考えると、元旦に雪景色を描き初めしたから、きっとそれが夢に出てきたんだろうと想像したが、その前に、美しいものを自分からどんどん捨ててきてしまったのではないか、と哀しい思いでいっぱいになっていたことも覚えている。
 記憶の箱の中から、焦るような気持で、失ってしまった「美しさ」を一つ一つ取り出している(それらが皆、紙の上の絵のように平面なのは笑ってしまうけど)。そして、突然掌に現れたのが、小さな石にこびりついている雪だった。大好きな林の中で、半分ほど凍りかけた雪を指で擦っていた。

そうだ、雪の色は白じゃなかった。じんわりと石の色が透けて、ギザギザした、そして風に擦られた子どもの頬っぺたのような色をして、その上に針のような小さな結晶も一つ二つ立っている。ずっと、それを描くだけでよかったんだなあ、と目が覚めたあとも考えていた。

錦秋・華厳の滝

「錦秋・華厳の滝」水彩 F4、コットン紙

昨日載せるはずだったブログ用の水彩。夜の11時少し前からブログを書き始めましたが、どうにも眠く、キーボードは間違って打つし、考えも集中できないので、終わらないまま寝てしまいました。

スケッチは、だいぶ昔、まだ子どもが小学生のころ、日光に連れて行った時の写真をもとに描いたものです。滝は右上から中央下に向かって落ちています。川が滝口のあたりを上からくねくねと曲がってきて、黒い岩のところから落ちていきます。一見すると左から右へ落ちているかのようにも見えますが、そうではありません。

紅葉の風景は至る所で見られますが、描くとなると意外に難しいものだと思いました。こんなふうに全山紅葉という場合、やたらめったら赤や黄色を塗りたくるだけになりがちです。手前の紅葉とずっと奥の木々の紅葉とが同じ色なので距離感も薄いし、それぞれの木や葉は小さいので、一本ずつ、一枚ずつ描くわけにもいかないからです。

ここでは木や葉を描き分けることはサッサと諦め、微妙な明るさの差(手前は紙の白さを残し、奥は緑と赤の重なりを多くする)と、視覚的な密度感(遠くは小さく混み入っていて、手前は広く大きい)とで、空間を表現するようにしてみましたが、どうでしょうか。
 秋だけでなく、最近はどこへ出かけるのも億劫になってしまいした。寒いのもスケッチも、好きは好きなのですが、道具やらなにやら考えると面倒になってしまいます。でも、できるだけ、美味しい空気を吸えるところに行きたいと思いますね。

団地の夕陽(試作)

「団地の夕陽」試作 この絵はウインクすると、よく見えます

銀座でのグループ展、「風土に生きる・第10回展」を昨日(2023.10.28)終了しました。

このグループ展はこの後も続くことになりましたが、わたし自身はこの10回展を以て、(すでに公表しているように)離脱することにしました。それは自分自身の考え方によるもので、展覧会やメンバーに対する不満があったわけではありません。むしろ、10年間良い勉強をさせて頂き、感謝以外にありません。

「夕陽」試作です。(一昨日の、未完状態よりつまらなくなってしまいましたが)この段階においても、いくつも技術的な問題が出てきました。それは次の試作で解決されるはずですが、そこで、また新たな課題が出てくることでしょう。その繰り返しで一つの作品に結実すれば言うことはないんですけど、作品ができるにはそんな解りやすい道筋ばかりとは限りません。むしろ、そこから絵画の旅が始まるとでもいうようなものです。