Apple

「Apple」 2019 F8 Oil on canvas

ここ2ヶ月ほど、こんな絵を描き続けている。どんどんアイデアが浮かぶので、まだしばらくは続くだろう。もう一つ「種 Seed」というタイトルで、ムキムキマンの男を種の中に閉じ込めたような絵も続けている。ほとんど似たような絵なのだが、なぜかこちらはなかなかうまくいかない。

見た目は現代ふうの絵だが、描き方はあえて古典絵画の方法を採用している。つまり、グリザイユ(白黒の明暗の調子だけで下描きをすること)、次いでグラッシ(透明な色の層を薄く重ねること)と白を交互に重ねて色を深める画法のことである。現代絵画であろうと古典絵画であろうと、深く豊かな色彩表現にはこの方法が最適だと思うからだ。

私には私なりの絵画の理想像がある。そういうものを持つこと自体、絵画を限定することになるという批判はさておき、多くの画家たちもそれぞれの理想を実現すべく日々精進しているものだ、と私は思っている。そこまではいい。けれど、私の理想像には、それ自体の中に分裂的な矛盾を孕んでいて、それがここ20年も私自身を苦しめている。

今のところ、その矛盾を統合する方法には至らず、制作は矛盾の「どちらか一方を見ないことにする」ことによってのみ可能。両立を目指して、しばらくひどいうつ状態に陥った経験による。ごく最近では、それは矛盾ではなく、二つの全く異なった「それぞれの理想」と考えるべきではないか、などとも考える。赤道直下と南北両極のようなものか。もしそうならば、それを統合するということに何の意味もないのだが。