気楽に描くのが難しい

鳥の習作

鳥を描いてみる。一度描きかけ、一年近く放ったらかしにしてあったものを、引っ剥がして捨てるつもりで描いてみた。このあと、どうなるかは自分でもわからない。

ひとつ言えることは、捨てると思えば気楽に描けるということ。線も乱雑だが、捨てると思えばのびのびと描ける。間違い、などというものもなくなる。物差しになる「正しさ」など不要なのだから。

問題はおそらく一つだけ。途中で、うまくいきそうになることだ。誰でも、自分の気に入るように描きたい、だろうと思う。私もそう。それがマズイ。それが基準になってしまう。そのとたんに、気楽でなくなり、のびのびと描けなくなる。

ずっと、捨てるつもりで描くことは難しい。いい加減に描くことも難しい。写真のように描いたり、人の気に入るように描くよりずっと難しい。うまくても、ヘタでもダメ。そんなこと、度外視して描く。それが難しい。

東京どんぶりピック

ノーベル賞受賞者は、日本では東大、京大出身者が主だから、そこだけに教育予算投下すれば安くあがる、などと言うバカなやつ(政治家も)がいる。呆れるというより、悲しすぎる。その人たちの支えとなる膨大な研究と協力なしで、成果など出せるものか。

日本中の大学から、優秀な研究者をさらに輩出するにはどうしたらいいかと考えるのが政治家の仕事だろうが、そのような政治家は票狩と権勢欲以外に頭の使い方を知らないようだ。

各社新聞の電子版を読むと、2020東京オリンピックへの予算は(予想通り」)どんどん膨らみ。現時点で、単純計算では2兆8100億円が関連予算として計上されているという。これは「大会に直接必要なもの」に限られ、行政経費などは含まれていないという。

やっぱりね。組織委員長の森元首相は「これをもとに新しい事業が展開できるなら安いものだ」という意味のことを言っているらしい。「できるなら」が曲者だ。具体性が何にもなく、「なら」という仮定の言い方で責任もない。けれどもカネはしっかり遣う(どんぶりとはこのことだ)。しかも、この予算はさらに膨らむと予想されている。

いつもの、公共事業という型枠、流し込まれる使い放題の甘い汁。オリンピックへの参加ではなく、開催したがるのは、そこに専用の甘い汁椀を作れるからだ。そこからほんの幾つまみかを、アジ塩のように国民に振りかけて、こっそりと次の、そのまた次の票まで買い叩く。この国の(愚民化)教育の成果だ。

同じ穴に住んではいるが-2

安倍首相が内閣を改造し、党役員人事を行った。賛否両論、盛んにマスコミで論評しているが、一方でモリカケ問題からの、両者の意図的な目くらましでもある。

「実務者」内閣だと首相が最初に胸を張ったとき、NHKでは政治部記者が「その通りだと思います」と言っている。まさに地に落ちたマスコミのなれの果てと言いたいところだが、まあいい。この顔ぶれが本当に「実務者」揃いなのか、それが「その通り」なのかは、すぐに分かるだろうから。

生態的に見ると、これはコバンザメ一家のようだ。親コバンザメにびっしり付き従っている子コバンザメを見るようだ。コバンザメは穴には住まないが、まあ同じお腹(住まい)にくっついている、一家であることは同じようなものだ。ただし、子コバンザメは、その親にくっついているのが、普通の種類と異なる。

困ったことは、孫コバンザメ、ひ孫コバンザメと、次々と小さいやつができつつあるらしいことだ。子コバンザメ、孫コバンザメとも実は血は繋がっていない。自分の取り分を横取りされたり、噛みつかれたりすると、怒ってお互いに食い合うことさえある。けれど、今のところは親コバンザメの図体が大きいので、とりあえずは同じ穴、じゃなかった、腹違いの腹にくっつき合っている(その後どうなるか、某水族館にて観察中)。