うんざりだ / I’m fed up with “Thanks, thanks,thanks”

ときには一人になるべきだ
ときには一人になるべきだ

2016/8/22。今日もヤマセだ。オリンピックは最終日。日本人選手の活躍は素晴らしかったが、インタビューのたびに、メダルが獲れて「嬉しい」か「申し訳ない」。そしてかならず「支えてくれた皆さんに感謝」。

気持は解るし、確かにそうなのだろうけれど、もう「うんざり」だ。報道がそれを要求する場面もある。コーチ、監督、競技団体が対外的な損得計算をしつつ、「感謝のことば」を指導しているからでもあるようだ。

選手は皆、自分一人で頑張ったとは思っていない。日々無意識のうちにも感謝の気持は持っている筈だ。けれど一方では、自分個人の力を発揮するためにも、そういうことを忘れ去ることが必要だろう。ある意味でそんな一心不乱さこそ、真の感動を与えてくれるのでないか。最近は小さな子でさえ「感謝」を口にする。

「感謝を口にしておけば無難だ」「皆が…してやっている」「皆に感謝するのが当然だ」という意識は、結局は個人を全体の中に埋没させる危険な意識だと思う。「個性を伸ばす」と口では唱えながら、日本人の心はやはりまだ「全体でひとつ」。