in put, out put‐Nさんの試み

「石1」Nさんの水彩
「石2」Nさんの水彩
「石3」Nさんの水彩

一般的に入力、出力と遣われる語だが、少し考えてみると put という単語がちょっと意味深に思える。put=置く、というのだから、置くモノが要る。モノだからin⇄out と移動すれば、それぞれ元の場所には無くなるわけだろう。

in put は自分の勉強(時間)、out put はその成果を発信すること(かなり恣意的なつなげ方だと思うが)と、考えれば、勉強(情報収集)は「アイデアの芽」もしくは「種」であり、それが「実」になるまでには一定の年月、経験が要る。それが数カ月なのか数十年なのかはモノにも、人にもよるだろうが、いずれにせよ熟すまでの時間が必要だということだ。

ごく普通に考えても、バケツの中にあるモノを外に出し続けるだけならば、すぐにバケツは空になる。「断捨離中」なら嬉しいが、それが精神的なモノであっても、出し続けていればいずれは空になる。「競争に打ち勝つ」ための「発信力」が強調されがちな昨今、有り余る内容を持っている人や会社、事業体などはいいが、特に何もない人、ところだと、発信する内容を「泥縄的に」作りながらやらなくてはならないこともあるのではなかろうか(「泥縄」なんて、すでに死語ではあるまいか?泥棒を捕まえてから(縛るための縄をなう)という、「準備不足」を戒める言葉。念のため)。

わたし自身が、ずっと前から「これじゃ泥縄だな」と感じていた。インプットとアウトプットの間隔が「即」なだけではなく、逆になるほうが多くなってきたからである。―「青いカモメ絵画教室」のNさんの習作「石1」~「石3」を見ると、Nさんが「インプット」している様子がビンビン伝わってくる。情報を仕入れるだけがインプットではなく、それを自分の中で揉み込み、発酵させているのがよく解る。「発信」が目的ではなく、結果であるという王道の歩みかたを見てほしい。Nさんの「石」はすでにかれこれ数年に亙る。

投稿者:

Takashi

Takashi の個人ブログ。絵のことだけでなく、日々思うこと、感じることを、思いつくままに書いています。このブログは3代目。はじめからだと20年を越えます。 2023年1月1日から、とりあえず奇数日に書くことだけ決めました。今後の方向性その他のことはぽつぽつ考えて行くつもりです。

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