オリンピック総括

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中学生の時に、テレビで見たメキシコオリンピックの陸上男子200mの表彰式で、1位と2位のアメリカの黒人選手が国旗掲揚場面で下を向き、黒い手袋をつけた右腕を突き上げ続けたシーンを今も鮮明に覚えている。今年(2021)読んだ、彼らへのインタビュー記事では、3位になったオランダの白人選手には表彰式前に相談し、賛同を得ての行動だったという。予想通り、このあと、彼らはオリンピックのアメリカチームから追放された。

「これが現実の世界なのか。オリンピックは約束された世界の一部に過ぎないんだ」と深くわたしの心に刻まれたシーンだった。以来、オリンピックだけでなく、世界を見るわたしの眼は変わった。1964年東京オリンピックでの女子バレーボールでの日本勝利に感動した菅首相が、自分と同じ感動をさせたいと、2021年コロナ禍下の日本国民に押しつけた「東京オリンピック2020」への視線とは180度違う眼に。

それにしても、日本選手のメダルラッシュが続いたせいか、日本のマスコミはすっかりオリンピック一色の報道になった。まるで太平洋戦争当時の「軍令部発表」(誤解のないように言っておくが、わたしは戦後の生まれである)の「軍艦マーチ」が嵐の「カイト」にすり替わっただけで、国威発揚の風景そのものは当時と大して変わらないように見える。

日本だけではないが、いい成績を出した選手が国旗をマントのように翻して報道陣の前に立つ。誇らしいと思う選手もいるだろうし、渋々という選手もいただろう。競技団体からの要請もあるのかもしれない。しかし、国旗を身にまとう行為自体に、「アスリート・ファースト」を掲げる主催者の言葉との矛盾をわたしは感じてしまうのである。