日本製

(木製パネル)取扱い上の注意:天然素材を使用しておりますので、反りや曲がりを生じる場合があります アクの出にくい素材を使用しておりますが、アクにより変色する場合があります 品質には万全を期しておりますが、稀に表面材が剥がれる場合があります 一部の裏面に使用しているステープルは、錆びる場合があります(以上全文)

水張り用パネルの裏側に書いてある「注意事項」。これは注意事項ではないでしょう?ただ、先回りして責任を回避しようとしているだけですね。反ったり、曲がったり、変色したり、中に使っている金属が腐食するけど「我慢してね、文句言わないでね」という意味ですね。「どこに「万全を期して」いるのか、さっぱり分かりません。水張り用のパネルを作るならどんなことに注意すべきか、メーカー側に教えてあげる必要がありそうです。

二(ふた)呼吸する

制作中

絵を描くことは気持ちいい。一度中断を経ると、あらためて神経が春の草木の芽のように広がって行くのを感じる。

ある人は身体を揺するだろう。それがダンス。ある人は思わず声を出すだろう、それが歌であり、詩なのかも知れない。絵もダンスに近い。身体から萌え出る何かが、色を選び、形をとるのが絵なのだと、つい感情的に結論づけたくなってしまう。でも、とりあえず、再び一歩踏み止まって、深呼吸することにしよう。

一呼吸したら、もう自由だ。その時心の中にあるものが、だれにとっても大事なことだ、きっと。

 

葬儀について思うこと

鴻巣市のひな飾り

3/2〜3/7まで葬儀への出席と手伝いに行ってきた。葬儀のことを見、主催し、手伝ってみて、つくづく重荷だなあと思う。

親の死を子が看取り、生前の恩に感謝して立派な葬式をするのが子の務め、なんだろうか?葬儀の経験をすればするほど、そうは思えなくなってくる。そういう言葉を、他人に見える形にするためだけに、体も心も経済的にも疲れ切ってしまっているのではないか。

どんなに小さな規模にしても、葬儀屋に依頼しての仏教式の葬儀なら、あれこれ入れて100万円近くは必ずかかってしまう。しかも慌ただしく、死を哀しむいとまなど全くない。あとから虚しさとお金の負担だけがずしりとのしかかってくる。日本全体で見たら、恐ろしいほどの(無駄遣いとまでは言わないが)重荷に違いない。本当にこれが、遺された子の、家族の受けるべき務めなんだろうか。病気で長く入院などしていたら、なおのことその負担は重い。

自分が死んだ時は、せめて子の負担にならないように質素にして欲しい、あるいはその前に自ら消えてしまいたい、と考える人は多いのではないか。せめて、そのお金を子やその家族の為に使って欲しいと思う人が多いのではないか。自分の葬式代位遺せますという人も、もちろんたくさんいるだろうが、私ならそのお金を元気なうちに遣ってあげたい気がしてならない。