災害のたびに思想を深める

今日も熊谷あたりでは気温が36度とか。九州でとりあえず雨が上がったのはいいが、災害に遭った人はもちろん、自衛隊、県市町の職員、ボランティアの人たちも目の前の片付けだけでも膨大な作業量だと思う。災害は一時のことだけでなく、そのあとの精神的な負担、子どもの教育まで含んで、ずっと長く尾を引く。

防災対策、法律を含めた復興支援、教育・研究とハード・ソフト両面の息の長い取り組みが必要だ。そして、そこには「人は物ではない」という無言の大前提が不可欠だ。「命を救う」という一語にも、「死ななければよい」から「人(間)とは何か」まで、二段構え、三段構えの深い思想構造が積み重ねられていく必要がある。

 

九州北部の災害に思う

九州北部の大雨被害が凄まじい。「線状降水帯」という耳慣れない語もすっかり定着してしまった。何人も亡くなっているのは気の毒だが、それでもこの特異な気象状況にしては人的な被害が最小限で済んでいるのではないか。防災意識の浸透の成果だと思う。

けれど一方で高齢化が進み、高齢者ほど生活からも情報からも取り残され始めている現実が報告されている。また今回の特殊な気象現象も、温暖化など人類自らの行為の影響がないとは言いきれない。となると、自然災害のように見えながら、或いは人災の犠牲という側面もあるかも知れない。

開発と災害は欲望と知恵の果てしない闘いだとも言える。「三人寄れば文殊の知恵」という言葉があるが、三人どころか70億を越えた人類から知恵が出ないということはあるまい。

小池のなかの葛藤

人の騒ぎなど蓮の小池

東京都議会議員選挙で、小池・都民ファーストの圧勝、共産党の勝利。自民、民進の大惨敗となった。自民自滅とテレビで沢山の人が同じことを言っているが、共産党の勝利と民進の惨敗について考えることの方がもう少し意味がありそうな気がする。

小池都知事が大勝利翌日、突然の代表辞任。「見える化」「情報公開」を旗印に勝利した筈なのに、その経緯が「見えない」どころか「トップダウンは当然だ」とのたまうのは自己矛盾ではないか。そして「阿部政権との連携必要」とわざわざコメントするというのはどういうことなのか。

結局小池さんは(離党はしたが)心は自民党員だ(と宣言した)ってことだね。自民相手に「勝ちすぎた」と「反省」。次の選挙ではきっと反動があるだろうと、間髪を入れず次への布石を打った。さすが政治家と言いたいところだがどっこい、国民・都民をバカにしちゃいけない。少なくとも当選した議員全員の前での「説明責任」を果たしてから辞任すべきではなかったか。

こういうのを見ると、政治こそAI(人工知能)に任せた方が良いのでは、という意見がどっと増えそうな気がする。