神のデザイン / God’s quake

赤アリ  A red ant
赤アリ  A red ant

自然(界)の動植物を眺めていると、大きく言えば地球環境、小さく言っても数万年の歴史環境に、あらゆる生き物が、あらゆる方法で実によく適応しているものだとため息が出る。この適応の見事さを、これは神の仕業以外にあり得ない、と考えた西欧中世の人々の感懐を想像するのは少しも難しくない。

当時の人々の心を捉えたのは適応の見事さだけではない。その序列(連鎖)の見事さだ。カエルが虫を感じ、捕らえるまでのメカニズムの完璧さ。その完璧モデルであるはずのカエルはあっさりと蛇に食べられる。蛇の狩猟メカニズムの完璧さ。なのにその蛇は簡単にフクロウや他の動物の餌となる。それぞれの完璧さの入れ子、「完璧さ」のマトリョーシカ。カエルが蛇を食べたり、蛇がフクロウを食べたりしない、序列の「完璧な」不可逆性。自然界はまさに存在する全ての生物の完璧さそれ自体と、それぞれの関係性における完璧性の、二重、三重の完璧博物館だ。それが生命誕生と同時に、「神によって」成し遂げられていた、という中世人の衝撃的発見。

私たちは 彼らの「衝撃の事実」の内容を、テレビやビデオなどで毎日、垂れ流し状態で眺めている。知らない事実に出会っても、へぇ?というだけで、それが本当かどうかなどどうでもよい。とりあえず事実としておかなくては毎日が流れていかないからである。中世のような衝撃など体験していては混乱するばかりなのだ。

でも、ときたまヒマになる人もいる。ヒマになっても、テレビもビデオも見たくない時もある。旅に出る人もいる。そしてアリに噛まれる人もいる。踏み潰すひともいれば、ときたまそいつをシゲシゲと見る人もいる。そして中世の衝撃を自分のものとする人もいる。