あざやかな緑

        「あざやかな緑」  水彩+アクリル

曇った日でも30℃近くなる日が増えてきた。外へ出かけるのが更におっくうになる。夏の暑さは辛いが、決して嫌いではない。暑さにふうふう言いながらも、夏の方が仕事ができるのは薄着でいられるせいかもしれない。袖に腕が引っ張られたり、厚ぼったい生地にまとわりつかれる感じがしないだけで、だいぶ清々する。

下描きは水彩。あとはほぼアクリル絵の具とペインティングナイフだけで描いてみた。奥の建物は上に1.5倍ほど伸ばして、空を小さくした方が構成上は良かったかもしれない。ナイフでは細かく描けないのが幸い、主張が明確になる。そんな主張など、誰の耳にも届かないんだけど。

百合を描く

       「カサブランカ」 水彩

いわゆる「西洋絵画」をちょっと学ぶと、「百合」の描かれた絵が続々と出てくることに驚くかもしれない。一般に西欧絵画といわれるもののイメージが(14世紀以後の)油絵であり、その本道が「キリスト教絵画」であったことは多くの人が知識として知っている。そこでは百合が、「純潔」「高貴」の象徴として登場する。特に多いのは大天使ガブリエルが処女マリアに妊娠を告げる場面である。

「え~っ、なんでわたしが妊娠するわけ~?!」と驚くマリアの顔をどう描くか、画家たちの腕の見せ所だったらしい。ちなみにレオナルド・ダ・ヴィンチもこのシーンを描いているが、レオナルドのマリア曰く「知ってたわよ、そんなこと」。「それでどうしてくれんの?」と、ひざまずく大天使を前に「上から目線」の堂々のマリア像を描いている。
 生まれてくるのがイエスだから?イエス。父親?は鍛冶屋のヨハネということになっているが、DNA鑑定のない時代の話であるから、「百合の花」の存在意義があるわけだ。
 ちなみに、「もう、バレちゃったの~?」の困惑のマリアや、開き直りのマリアまでいろいろ表現があって楽しいが、当時の画家たちも妄想を楽しんでいたのかも知れない。ご興味の方は、(意外にストレートな)西洋絵画を勉強いたしましょう。

つい、なんの脈絡もなくありったけの教養をひけらかしてしまったが、ガブリエルが手に持っているユリは、同じ白ユリでも「カサブランカ」ではない。カサブランカは名前からして外国種だと解るが、日本にもヤマユリ、スカシユリなど15種類ほども原生種があると言われている(ウィキペディアから)。

技法を併用する

          「5つのプラム」  紙、アクリル、テンペラ

前回の「水彩+テンペラ」を「アクリル+テンペラ」に展開してみた。乾燥時間のズレを解消するためだ。プラムの最終的な赤はテンペラで描き、それ以外はアクリル絵の具。プラムの赤だけはアクリル絵の具では満足できなかった。

油絵を描く人たちが、アクリル絵の具について述べる不満の第一は「瘠せ」。描いたときはふっくらしていても、乾くにつれて水分が抜け、見た目にも物理的にも「薄くなる」現象を言う。当然だが、アクリルに限らず、「水性絵の具」全般に「瘠せ」は起きることになる。
 けれど、水彩絵の具でも墨絵でも、描いている時からすでに薄いので、乾燥後とのギャップはない(水彩では色のギャップは大きい)。それに引きかえ、アクリル絵の具は盛り上げることが可能な絵の具である。見た目の盛り上げに満足したあとの「瘠せ」にがっかりさせられる、そのギャップが大きいからだろう。

油絵具の乾燥は水性絵の具と違い、水分を飛ばすのではなく、「酸化」という化学反応によるものだ。絵の具の中の分子が空気中の酸素と結合して硬化するので、酸素分子がくっついたぶん「太る」のである。「太る」までいかなくても、「瘠せない」ことで乾燥後の最終結果が容易に想像できる。ちなみに色のギャップも、水彩絵の具に比べればずっと小さいことが油絵具の大きな利点だ。

テンペラ(ここでは全卵のこと)は水分を飛ばして乾く乾燥と、化学反応による乾燥との2ウェイ方式。さらに油絵具ほど油分がないので酸化による黒ずみも極めて少ない。顔料(色の素)の純度が高いので鮮やか、かつ乾燥後は耐久性もある。ただ、毎回下地処理が必要だし、絵の具を手作りするという面倒くささがある。
 技法を併用するということは、いいとこどりをしたいと言う意味。できれば表現の幅が広がるし、その組み合わせ方に悩むのも面白い。