AIを使って描く

習作 水彩
AIを使った資料写真

下の資料写真を見ながら描いたのが、上の水彩。実は、この風景には人物は誰もいなかったのだが、いわゆる、生成AIを使って作ったのが、この資料写真。

人物の別な一枚と合成したわけではない。椅子が二つ並んだ風景写真1枚しかなかったところに、○○と言葉を打ち込んだだけで(声でもいい)、AIが自動的に人物をはめ込んだのだ。

椅子に対して人物が大きすぎるので、ピッタリのサイズにしたかったのだが、AIに的確な指示を出す能力がわたしには無く、そこまではできなかった。けれど、絵の資料写真としては十分使えるし、なにより著作権を気にせずに済む。なぜなら、これはわたしの“オリジナル”だからである。

オリジナル?「白い服の女性が椅子に寄りかかっている」という「言葉」がオリジナル?資料を簡単に作れて便利だなあ、と思う反面、気持ちとしては実に面白くない。こんなものにオリジナル性を認めるという、世のシステムにも納得できない気分だ。
 けれど、もうこの流れを止めることはできまい。科学者やエンジニアの中にもAIの危険性を訴える人が大勢いるけれど、これを便利に使う人の方が、その数万倍もいるだろうとは想像力さえ要らないことだ。人物が大きすぎる、と思いながら、ついつられて、自分も“大女”を描いてしまったのはご愛嬌である。

南越谷阿波踊りを見に行った

大ホールでの演舞
野外特設会場、流し踊も披露

南越谷阿波踊りを見に行ってきました。凄い人出で大賑わい。天気もほどほどで良かった(前日は雷が鳴り、雨もぱらついたらしい)。重い腰を上げて行ったけれど、行ってみたら案外面白かった。

祭りの最後は大通りを流し踊りするのだが、興に乗った見物客が「にわか連」として参加、それが2組にもなり、皆さんニコニコ顔でフィナーレ。夏の風物詩となりました。

アップロードしました!見てね!

今日18:00アップロードしました。今回は時間的に余裕があったので、昨日のうちに公開予約してあった。本当に珍しいこと。ダラダラした部分をカットして、短くすることもできた。ビデオとしては密度のある作品になったと思うけど、それが視聴者にとっていいことなのかどうかは自分では判らない。

編集中、といっても最近ずっとだったが、スピーカーからの音が小さくて聞きづらく、ボリュームをかなり上げても音量が上がらない。パソコンのスペックが不足になってきたように、マイクやスペックも傷んできたのかなと思っていた。

気になって、耳鼻科を受診した。耳垢で両耳ともすっかり詰まっていた。取り出してもらったら、ボリュームを下げないとうるさいほど。オーディオ機器の問題ではなく、“オールド危機”の方だった。
 なんとなく耳がむずがゆい感覚があって、つい綿棒でほじくる癖がついてしまっている。その結果、耳垢を奥へ奥へと押し込んでしまう。それを何度も繰り返してきた。綿棒を使う癖をやめなくちゃ。よく聞こえるようにはなったが、あくまで「その直前よりは」ということ。難聴であることに変わりはない。

加齢とともにあちこち不良部分が出てくるのはやむを得ない。問題は、それを感じるセンサーがダメになってくること。センサーの不調をどうやって判定するかといえば、ある意味で「好奇心」なのだそうだ。出かけるのが億劫、新しいものに興味が湧かない、つい我慢する、などの無気力さが指標になるらしい。耳が聞こえづらいのを我慢すると、認知症につながる率も高くなるそうだ。