ベーコンの憂い

     「新緑」  水彩 F6

ベーコンは塩気と油が多いからなあ・・いや、そっちのベーコンではなく、イギリスの画家、フランシス・ベーコンの方。わたしはフランシス・ベーコンの絵が大・大好きだと公言している(と言って誰かが聞いているわけでもないが)が、その人がこんな絵を描くなんて、とフランシス・ベーコンが見たら「憂い」だろうな、というくらいの、いい加減なタイトルである。

わたしが展覧会に発表してきた絵は、上のような絵とは表現が随分異なる。そして、展覧会場で知り合う多くの人は、会場に陳列されているような絵を、わたしが毎日描いていると想像している(と思う)。実際は、ほとんど多くの時間、わたしはこのような具体的なスケッチに明け暮れている。

スケッチをする暇があるなら、一点でも多く作品を創った方がいい、とアドバイスしてくれた人がいる。スケッチなど無駄だとも言った(ような気がする)。そうかもしれない。わたしのように、発表する作品と普段の制作とのギャップの大きい人は特に。世間のものの見方と、それに合わせた効率を考えれば、その方が合理的選択なのかもしれない。
 「あの人はこういう絵を描く人」「あの人は○○をする人」などと、一つのイメージに固めることができれば分類・記憶の整理が楽だから、多くの人はそんな風に単純化しようとする。画家の方もバカではないから、ひとつのイメージにまとめてもらいやすいように、それに合わせたイメージしか見せないようにする。それがCMの基本的な考え方だ。
 アスリートも、引退宣言して、初めて選手以外の「人間」として見てもらえるようなもの。先日紹介した「わたしを束ねないで」もそういうこと。

けれど、(誰もが知っているように)どんな人ももっと複雑で多様な、時には自分自身ですら気づかない別の面を持っているものだ。フランシス・ベーコン(の絵)も、わたしをこう見ていたかも知れない。
 「お前の見方は表面的で薄っぺらい。それはお前自身がそうだからだ。オレはもっと深いものを見ているのだが、お前はそういう視点を持っていない」。ベーコンの憂いである。

アップロードしました!

本日18:00「『四月』を描く」をYouTubeにアップしました。ご覧いただけると嬉しいです。昨日もブログで一部記事にしましたが、「オオアラセイトウ」をメインのモチーフにした(わたしにとっての)「四月の情景」をビデオにしたものです。

ビデオの中では「風景」とも「情景」とも言い、いい加減にナレーションしてますが、「情景」と「風景」とが同じ意味でないのは、皆さんご理解の通りです。でも、その違いをどう「視覚化」するか、という具体的な方法論になると、論理的理解とはまた違う面が出てきます。

オオアラセイトウ

「四月の川辺(仮題、部分)」 水彩

今日は暖かく穏やかな日だった。自転車で散歩へ行きながら、調子のいいところでウォーキング。汗をかき(暑いだけでなく、腰の痛みへの我慢の汗も若干プラスしてるかも)、Tシャツ1枚で歩いた。明日は雨らしいので、2日分歩けたのはラッキー。

絵の中の紫の花は「オオアラセイトウ」という。聞いたことないという人もいると思うが、「アラセイトウ」という名なら耳にしたことがあるという人は意外に多いかも知れない。
 わたしがピンと来たのは詩人・新川和江の代表作「わたしを束ねないで」を思い出したから。
 わたしを束ねないで
 あらせいとうの花のように
 白い葱のように
 束ねないでください わたしは稲穂
 秋 大地が胸を焦がす
 見渡すかぎりの金色の稲穂 (以下略)

ここでの「あらせいとうの花」は花屋さんでよく見かけるストックのこと。同じアブラナ科の植物ではあるが、オオアラセイトウはそれとは別種。全体のかたちも違う。

この群生が散歩コースにあって、同じようにコースにある桜よりこの色に惹かれ、毎年写真を撮るだけだったのだが、先週とうとう描いてみた。その制作はYouTubeビデオにすべく、現在編集中。順調なら、明日18時にアップロードする予定だ。
 余談だが、青や青紫色の花に惹かれる。青い花の種類も、他の色に比べて少ないのではないだろうか。青のデルフィニウムも好きだが、夏の矢車草がシンプルに好きだ。見るたびに「青空のかけらがここに落ちている」のを感じる。
 オオアラセイトウはムラサキハナナ、ハナダイコンとも呼ばれる。わたしはハナダイコンとしか知らなかった。こちらはあまり風情のない名ですね。俳句では「諸葛菜(ショカツサイ)」という春の季語になっている。