林道の橋を描く-2

前回の「林道の橋」をアクリル絵の具であらたに描き直してみた。写真はなぜか実際とずいぶん色が違って見えるが、まあ、こんな感じ。アクリルで描くと油彩の良さをかえって想ってしまうのは、まだアクリルが使い慣れていないせいかもしれない。。

絵の具に厚みがあるのは手応え感があって、それなりに楽しい。わりと簡単に直せるから、水彩ほどの緊張感は不要だし。それかどうかは分からないが、同じモチーフ、まあ、ほぼ同構図ではあるけれど、イメージはまったく別の絵になった。それが言いたくて描いたようなものだけど。

もう一枚、こんどはもうちょっと抽象化して描いてみようと思う。

軽い絵、重い絵

「鳩と薔薇」 水彩
「林道の橋(部分)」 水彩

「鳩と薔薇」では、できるだけワンタッチで描こうとしていた。筆を重ねたとしても、なるべく大きな面積を、一回だけ重ねることが目標だった。ちょっと変わった構図だが、小さな薔薇の鉢植えに、お尻を隠すようにしているのを上から見ているという発想だ。

なぜワンタッチかといえば、前回の「林道の橋」で、かなり描写的になったことへの反動だ。別に描写的なことが悪いと言っているわけではない。前回は描き過ぎた感じもあったから、バランスを取るために二歩ぐらい引いてみた、ということ。

絵を描くことは、時には薬のように働く。描くことで気分がスッキリと軽くなったり、反対にそのことによって気持が重たくなるどころか、八つ当たり気味にものを壊してみたり、さまざまな “副作用” が現れたりすることもある。毒にもなるのだ。

重たい絵(一般的に言えば時間、体力・気力が必要な絵、としておこうか)が気分を重くするとは限らない。大きな満足感や充実感を得られることも少なくない。
 軽い絵、重い絵。それぞれに用法、用量があり、どちらにも「効能」があるようだ。症状(気分)に応じて使い分けるのが良い。

林道を描く

      「林道の橋」 水彩

7年前の下北半島での写真をもとに描いた。小中学生の頃は、遊びといえば海か山しかなかったから、集落からはかなり遠いが、この林道も数十回は通ったはずだ。今から考えると、子どもの足でよくあの距離を平気で歩いたものだと思う。往復10kmはある。道の記憶はほとんどないが、今も同じ空気を感じることはできる。

小学校低学年の頃まではここには森林鉄道があり、トロッコを繋いだ蒸気機関車が通っていた。数回は弟と運転室に乗せてもらったのも覚えている。それが廃線になり、木材を運ぶ自動車道路になり、山で仕事をする人々の通勤道になり、集落に比較的近いところには、田んぼも畑もできた。「カイコン(開墾)」という、子どもには難しい言葉もよく耳にした(だけでなく、中学生になってからは実際に労働力にもなった)。
 子どもだけでのヤマメ・イワナ釣り、アケビや山ぶどう狩などの野遊びのメインストリートだった。

田んぼも畑も原野に戻った。炭焼も茸つくりの人も消えて、いまは営林署関係の車しか通らない道になった。子どもだって、アケビなど探しに山へ行かなくても、もっと美味しいものが季節を問わず家の中にある。林道の多くはもう廃道同然で、文字の読み取れない案内板が雑草に埋もれて斜めに突っ立っていたりする。「クマ出没注意」の看板だけが新しい。

この道はその中でも幹線林道で、太平洋側から峠を越え、陸奥湾側まで続いているらしい。車を降り、橋の下を流れる川の水音を聞きながらしばらく林道を歩いた。「今のうちに描いておかなくちゃ」と思ってから7年も経ってしまった。