できることから

「できることから」と聞けば、ほぼ自動的に「始めなさい」と心の中で続きの文言が浮かんでしまう。日本の小学校に入学した経験のある人ならば、つまり日本人の「ほぼ」全員が耳タコのアレ。でも、入学以後は、ほぼあらゆることについて、「どこまで行くのか」のゴールは自分で決めなくてはならない。それが、どれも意外と重いのである。

“推奨される” 多くの考え方では、最初にゴールを設定するらしい。例えば「パソコンを使いこなせるようになりたい」。できること(スタート)は「まず、パソコンを買う」。一見普通に見えますが、これって、「ゴール」も「スタート」も、とんでもなくハードルが高くないですか?「設定」すること自体、ハードルが高いんです。

パソコンを買う前だから、使いこなせるかどうか解らないのが前提だけれど、「使いこなす」なんて到底無理だし、どんなパソコンをどこで買ったらいいか、見当もつかないのが普通じゃないですか?「パソコンを買う」もいきなりじゃ、ハードルが高過ぎるでしょ。どんなに安くたって、数万~数十万円はする買い物なんだよ。
 せいぜい、ゴールを「パソコンについて、いろいろ知る」程度まで下げる。スタートは「どこから知識を仕入れるか、を知る」。パソコンになじみのない人にとっては、これだって、十分ゴールになり得るほどなんですよね。

とりあえず、子どもや孫に聞くとか、使っている知人に聞くかする。自分で調べられる人は、すでにかなりパソコンの知識がある人だ。絵も同じだし、たぶん、他の多くでも似たようなものでしょう。
 で、絵のゴールは?「(自由自在に)自分を表現できるようになりたい」。これって、ハードルがとんでもなく高くないですか?それでも「パソコンを使いこなす」よりはまだハードルが低くなった気がするけど。だから、相対的に「絵についていろいろ知る」程度まで「下げ」てもいいんじゃないか。現実には、「下げる」と言っていいのかどうかさえ「微妙」。「いろいろ知る」の「いろいろ」だって、案外深いよ、きっと。