1000回視聴されました。

「クロワッサンを描く」をアップロードしました。編集にはいつも苦労しますが、今回も何カ月もかかってしまいました。それだけ苦労しても一瞬で忘れてしまう、この旧時代の「脳ミソ」が「残念の素」。悔しいが、他にうまい使い道はないものかと考えている脳自体がもそもそも「残念の素」なのだから、推して知るべし。

昨夜遅く、YouTubeにアップロードしようとしたら「1000回視聴されました。」と笑顔マーク付きの表示が出ていた。この1000回は一本の動画に対してではなく、わたしがアップしたすべてのコンテンツの合計。でも正直なところ、自分なりに「えっ!凄いじゃん」と思った。皆さん、見てくれてありがとう。この程度の動画に、計算するのも嫌なほどの時間を費やし、「自分はまったく無意味なことしてるんじゃないだろうか」という不安に悩まされる毎日、少しだけでも見てくれた人がのべ1000人いるっていう数字は、そのストレスをいくらかは解消してもらえた気になるんです。

単純計算すると、昨年9月 YouTube に初投稿して約10カ月だから、1000÷10=100/月ということになる。平均すれば毎日3人以上、わたしのビデオを見てくれたことになる。毎日3人に(たとえ既知の人でも)あらためて自分のことを知ってもらう機会なんて、普通の生活で、あるだろうか? 1つのコンテンツだけで数万回、100万回以上の再生回数のある「超」人気コンテンツなど、わたしもたまに見るが、可愛い子猫があくびをしているだけだったり、ドジな人があほらしい失敗をしたとかの、他愛のないシーンの投稿だけだったりすることも少なくない。それでもそれは視聴者に癒しとかリラックスとかの、何らかの価値を与えているのだろうと、動画投稿を始めてから思うようになった。それまでは、それらは「無意味ではないが無価値」なものとしかわたしには映っていなかった。

日本ではあまり感じないが、(オンラインで見る世界だけでも)それだけ多様な価値観があるということだろう。GAFAを筆頭とする商業的な思惑を誰しも根底に感じつつ、誰もが伝えたい(共有したい)ことを伝え、誰もが欲しい情報をできるかぎりストレートに受け取ろうとする時代。そういう時代になってきたんだなあと、始まったばかりのわたしのYouTube体験を通じてそう思う。