傲慢(ごうまん)

「クレマチス」 (CG) 

「傲慢」とは「思い上がっている様子」とか「人を見下したような態度」のこと。人で云えば「鼻持ちならない」奴ってことだが、それが「自分のことだ」と多くの人は思わない。でも実際は―わたしもあなたも「嫌な奴」、かも知れません。

「自分」は自分の心(こころ)に対してはヒカクテキ謙虚で、意外に弱音を吐いたり…欲望を正直にトロ(吐露)したりする。だから、つい自分は「正直者で」かつ「謙虚」だ、なんて思ってしまうのだが、どっこい「他人から見た自分」というやつは、「自分から見た自分」とはとりあえず別人と考えておく方がよさそうです。

自分は「お金持ち」の中には入らない、と(日本では)多くの人が思っているらしい。そりゃあビル・ゲイツとかジェフ・ベゾスに比べれば、ね。でも、隣の家よりいくらかは余裕があると思っている人は9割くらいはいるのではないか。あるいは、日本全体の平均よりちょっと上と思っている人も7割くらいいるのではないか(算数的には合わなくても、ここは感覚的に)。

欲しいものを何でも買えるほどの財力はないが、とりあえず当座の生活に不安はない—そう思える人は(わたしの勝手な定義によれば)いちおう「お金持ち」だ(うれしい?)。—貯金通帳をわざわざ見せてくれなくても結構です。感覚的な話ですから。

—でも、そこが「傲慢」の出発点。実際にはよそよりお金がなくても、「隣よりマシな何かがウチ(自分)にはある」と思うだけで、人は簡単に「傲慢になる」。そう、小さな「優越意識」が「傲慢の種」。誰だって「小さな優越意識」くらいは持ちたいし、精神衛生上もそのほうがプラスな気もするもの。—「正直」「謙虚」という自己肯定感とも矛盾しないし。(この項続き)