実のある生活(散歩道の植物群)

へびいちご

「実のある生活」という布教用のプログラムを、かつて英会話を教えてくれたアメリカ人宣教師から頂いた記憶がある。内容はきれいさっぱり忘れてしまったが、なぜか題名だけは覚えていた。

わたしの散歩コースにも「実(じつ)」はないが、「実(み)のある道」がある。そのうちのいくつか紹介しましよう。

「へびいちご」はまあ、まめにハイキングなどへ出かける人でもなければ、名前くらいは知っていても、実際に見る機会はほとんどなくなっているのではないだろうか。わたしの散歩コースでも、1か所しかない。それも少し草の中へ入ってやっと気がついた。
 上から②③は同じものですが、名前は解りますか?「カラスノエンドウ」です。カラスのように黒くなるから、そういう名前がついたんですね。つい1,2ヶ月前はきれいな紫の花をつけていたのに、季節の変わる早さに唖然とする。④⑤は、都会でも道端にいくらでもある、イネ科の「カラスムギ」。これも言われてみれば・・というところでしょうか。

これらはいずれも食べることができます。けれど、おいしいわけではなく、無毒というだけ。「だけ」と簡単に言ったけれど、ほとんどの植物は多かれ少なかれ「有毒」がふつうだと考えておく方が無難です。植物も、昆虫などの食害に対して、自分を護るための策として毒が必要だからです。毒の無い(あるいは人間に対して弱い)植物を「野菜」という、と前に教わったことがある。日本ではイネ科、マメ科の植物は種類も数も多い。風土に合っているのだろうと思う。

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今日は山へ柴刈りに行ってきました。妻は川へ洗濯に。すると上流から大きな桃がどんぶらこ、と流れてきたんだそうです。帰宅したわたしが「今日は27℃もあったが、わりに空気が乾燥して、むちゃくちゃ汗をかかずに済んだわい」というと、「そうけえ。そりゃあ、えがったな。ところで、わしゃあ、こんなもん川から拾ってきたんだわ」と言いながら、座敷の脇の大きな篭を指さした。わが家では見たこともない、でっけえ篭だったんですが。

しかも、そんなかに、“なんじゃ、こりゃ!” と飛び上がるほど、大きな桃が鎮座しておったんですわ。よくまあ、こんなでっけえ桃もあるもんじゃが、それを運んだアンタもえれえこってしたな、とかなんとか地迷い方言を云うてる間に、その桃がな、「ズズン」と、ひと回り大きくなったように見えたんですよ。ホントにホント。

「へっへ、爺さん、ビックリしたじゃろ」「わたしもな、拾ってきたときはまあまあ抱えられるほどやったんじゃが、爺さんがけえってくるまでに、もう3倍くらいに大きくなったんじゃよ」。ほえ~!じゃあ、どこまで大きくなるか見てみようか、と音声言語にする前に、「この桃に、耳をくっつけてごらんな。なんだか話し声みてえに聞こえるじゃねえか」と、もう耳をつけていた。
 アメリカ軍がUFOの写真を公式に発表した。話の続きは、また宇宙年月の{1-tsuka}にね。

つまらなそうな絵

         「日なたの薔薇、日陰の薔薇」  水彩

こういう絵は、一般鑑賞者から見るとつまらないかもしれない。でも、描く側から見ると、明暗の入れ替わりとその効果が味わえて、意外に面白い。

どういうことかというと、まず、①日なたの薔薇(薔薇に見えない、という人にはゴメンねというしかないが)と日陰の薔薇が、色違いなのに同じものだと思わせること。そのためには、ここは日向だから白っぽくていい、これは陰だから暗く見えるのは当然、という「錯覚」を作り出すこと。心理ゲームなんですよね。 ②同じ葉っぱでも、それを置く場所の明度に合わせ、4つほどの明度を使い分けること。造形思考の確認ですね。それが一種のゲーム感覚を味わえて楽しいのである。

昔、これと同じことを授業でやったなあ、と懐かしい気もしたが、ゲーム的な面白さまでは伝えられなかった。それは残念。